2024.06.21
野菜を作るだけに留まらない
「人とのつながり」の先にある
未来の農業と暮らしを目指して
益田享明(たかあき)さん・麻美(まみ)さん/益田農園
農園所在地:北海道富良野市
就農年数:4年目 2020年就農
生産:ミニトマト、アスパラガス
ラジオで等身大の自分たちを発信
映画『北の国から』の舞台でもおなじみの富良野市に大阪から移住し、3年間の研修期間を経て、2020年に就農した益田さん夫妻。富良野市が新規就農者の作物として指定しているミニトマトから栽培をスタート。3年目からは自分たちが作りたかったアスパラガスも加え、現在は18棟のビニ-ルハウスで生産を行っている。
夫妻のユニークな特徴の一つが、オリジナルのラジオ番組『益田農園の友達100人できるかな』を配信していること。享明さんの関西弁と麻美さんの気取らないおしゃべりが炸裂するこの番組は、もうすぐ300回に達する。語られているのは農業のことだけでなく、富良野での暮らしや子育ての悩み、夫婦間のことなど、益田家の等身大の日々のこと。
「もともとは従業員のリクルートのために始めたんです。僕らがこういう人間だということを、面接を受ける前に少しでも分かってほしくて。だから、できるだけ本音でしゃべっています」(享明さん)
ハウスを増設して生産量を上げていくためにスタッフを採用する際、当初はミスマッチに悩んだそう。効率も大事にする夫妻と、“農業=スローライフ”という志向の応募者の間には価値観のギャップがあった。働く動機や期待がお互いに曖昧だと違和感も生じやすいと気づき、自分たちの人となりを知ってもらおうとラジオを続け、今は自ら目標を持って取り組んでくれる従業員と互いに楽しく働ける環境になってきたという。
「これまで雇われて働いていた立場から雇う立場になった時、視点が大きく変わりました」という夫妻。それは人生を大きく方向転換し、新天地で農業に飛び込んだ二人の着実な前進の証でもある。
10年続けた仕事から、将来性を重要視して農業へ転身
益田さん夫妻が農家への転身を考え始めたのは、享明さんの前職の店舗什器制作の仕事が10年目を迎えた頃。好きな仕事ではあったが、3人の子どもを育てていくことを考え、将来的な発展性が見込める仕事への方向転換を模索していた。そんな中、麻美さんの北海道の実家が農家であることから、農業へのチャレンジが視野に入ってきた。
以前から里帰りの度に義父が農業をやっている姿を見て、面白そうだと興味が湧いていた享明さん。そして、麻美さんは自身がそうであったように、子どもたちにも農業や食物を身近に感じながら育ってほしいと願っていた。そこで、大阪で開催されていた就農相談会に足を運び、各地のブースを回って情報を収集。数ある地域の中でも、担当者の親切さと、新規就農にあたっての具体的な条件が最もフィットした富良野市に決めたという。
「相談会では、私たち家族の移住後の生活設計について詳しく確認しました。具体的には、当面の生活費、新規就農や移住に関する補助金の活用方法、住まいや研修先の紹介などについてです。その中で私たちにいちばん合っていたのが富良野市。もともと農業をするなら北海道でと考えていたので、移住は前提でした」(享明さん)
移住時に自治体から紹介される住宅や補助金は、主に夫婦2人世帯を想定しているため、益田家のように子ども3人を含む5人家族には十分とは言えない面もあった。しかし、現地で実際の住宅を見学した際、「工夫次第では5人で暮らせそうだ」と感じられたことで、新天地へのチャレンジが現実味を帯び、2017年、富良野移住に踏み切った。
指定作物のミニトマトで経営を固め、アスパラ栽培に挑戦
富良野市の新規就農者の研修期間は3年。1年目は親方農家の下で研修生として手伝いながら基本を習得。翌年からは、研修期間といえども自分たちの家と農地を確保して、決められた目標収穫量を達成できるように営農していかなければならない。
「機械などは貸していただけるのですが、収穫量によって収入が決まる厳しさはプロの農家と同じです。目標の収穫量に至らないと新規就農者として認定してもらえないので、真剣に取り組む必要があります」(麻美さん)
農地と住まいは、農業委員の支援によって、離農する方の家付きの圃場を借りられることになった。圃場までの距離も約100mと近く、家も大きくて好条件だったそう。まっさらな圃場でミニトマト栽培を始めるため、夫妻がまず取り掛かったのはビニールハウスの設置。業者に依頼する農家も多いが、費用を節約するため、享明さんが前職で培った腕を活かし、夫妻のDIYで最初の4棟を建てて栽培を開始しました。
そして、がむしゃらに頑張ったかいあってミニトマトの収穫量は新規就農者としての目標に達し、2020年に研修期間を無事終了して独立。2021年にはミニトマトに加え、作りたかったアスパラガスの作付けを行うことができた。
「僕らはミニトマトで経営を安定させてから作りたい作物に取り組もう考え、アスパラの栽培方法は就農してから学びました。おいしいアスパラに育てるためには堆肥がたくさん必要なので、毎年畑にたっぷり投入しています。安全安心な野菜を届けたいので、できるだけ化学肥料や除草剤は使わずに育てています」(享明さん)
適正価格で販売し、従業員に還元したい
現在の益田農園の出荷先は、ミニトマトはJA、アスパラガスは直接販売がメイン。富良野市のふるさと納税の返礼品にも出品している。アスパラは4〜5月に収穫の最盛期を迎えるが、この時期は1日に2〜3cmも伸びるので。朝夕2回、収穫作業を行わなければならない。6月中旬から夏にかけてはミニトマトの繁忙期。常時雇用の従業員1名の他、人手が必要な時期にはアグリヘルパーの紹介会社から人材を斡旋してもらっている。20代から60代まで、さまざまな人が働きに来てくれるそう。益田農園では1人がハウス1棟を担当し、各自が目標と責任を持って仕事に取り組んでもらえるようにマネジメントしている。
農業でしっかりと利益を上げるために大事にしていることは? と尋ねると、享明さんは、
「安く仕入れて高く売るのが商売の基本ですよね。野菜を実際に作ってみて、どれだけの手間とコストがかかっているのか身を持って分かりました。一消費者だった時は安さ重視で野菜を見ていたけれど、今は野菜がそんなに安くできるはずがないと思います。だから直接販売しているアスパラの方は、僕らにとっても適正な価格を付けています」
麻美さんは、「自分たちの野菜の価格を安易に下げないことです。農業者の間ではまだまだ、安くする・おまけを付けるという風潮が強いけれど、それではいつか回らなくなると思います。私たちは適正な価格で販売して、利益が出た分は従業員のお給料に反映していく方針です。物価が高くなってきている分を補ってあげたい。そういう良い循環が益田農園で生まれれば、お互いに続けやすくなりますよね」
一緒に働く仲間にも深い愛情を注ぎ、胸を張って食べてもらえる野菜を全力で作る。夫妻のシンプルで強いそんな心意気が伝わってくる。
「安心・安全・おいしい」を超える喜びは「人とのつながり」
益田さん夫妻には、農業を始めたからこそ知った喜びがある。一つはできた作物をおいしいと言ってもらえる作り手としての喜び。野菜が育っていくプロセスを見ることができ、我が子の成長を見るようで愛おしいそう。それに加えて、「人がどんどんつながっていくことが面白い」という。
「雇われている時には、人とのつながりはあまり意識したことがありませんでした。でも、自分たちで農業を始めたら、助けてくれる人や卸先、お客さんなど、人から人へのつながりが数珠つなぎ的に広がっていきます。時には思ってもみなかったつながり方をすることもあって、“あれがここでつながったのか!”と驚くこともあります」(麻美さん)
だからこそ夫妻は、自分たちを知ってもらい、好きになって買ってもらえるこように、情報発信に力を入れている。特に卸先に関しては、直接圃場に来てくれた所とだけ取引するようにしているそう。
「そこが判断の分かれ道。電話だけだと、作物の魅力も私たちのこともぼんやりとしか伝わらないでしょう。お互いが大事にしていることをじっくり話し合って、共鳴し合えば、私たちにももっとできることや、つなげられることがあるかもしれません。私たちはそういうことが好きでだし、そうありたいのです」(麻美さん)
人とつながり続け、多拠点ライフの農家を目指す
そんな夫妻に今後の益田農園の展望について伺うと、享明さんは、全国各地に益田農園の支部を作ることを考えているという。
「富良野では冬は農業ができませんが、南の温かい地方では可能です。各地にいくつかの農園と拠点を持ち、季節に合わせて移動したり、人手が足りない地域へスタッフを回したりして支え合うネットワーク型の農園経営が夢。富良野の農園が安定したら信頼できる人に任せて、次の農業地を開拓に行きたいですね」
麻美さんは「以前、新規就農を目指している方に『農業って地味だよね』と言われたことがあるんです。それを変えたいわけではないけれど、私たちは農業を楽しんでいるし、農業にもっとプラスになるような明るい未来があると示したい。就農すると、特に女性は仕事や家庭の悩みを打ち明けられる場所を得にくいと感じるので、そういう話を聞く場も作りたいと思っています」と語ってくれた。
ただ単に農業をやっている、野菜を作っているだけに留まりたくない。自分たちを好きになってもらい、人とつながりながら、明るくて面白い農業の未来を体現したい。家庭や子育ても含めた日々の大波小波を二人で乗り越えながら、常に前を見て進む夫妻のこれからが、ますます楽しみだ。
就農を考えている人へのメッセージ
「仕事は好きじゃないとできないから、農業に向いているかどうかをよく見極める必要があります。職業としてやるなら、スローライフを求めるだけでは難しいかもしれません。“起業する”という気持ちが必要だと思います」(享明さん)
「夫婦で就農する場合は、夫婦間のコミュニケーションが最も重要だと思います。共同経営者になりますから、家庭での顔とは違う仕事の顔も互いに理解する必要があります。ラジオをやっているのも夫婦間のコミュニケーションツールとしての役割があるからです。夫婦関係が崩れたら、好きな農業も好きじゃなくなる。譲り合い、相手の話をよく聞き、お互いを思いやれる気持ちが欠かせません。
全ては“人対人”だとつくづく思います。1人で就農されたとしても、地域や卸先など、何をするにしても相手がいます。時には自分の考えと相手の考えがぶつかることもあるでしょう。そんな時こそ、本来の目標に立ち返り、相手の意見に耳を傾けることも必要だと思います」(麻美さん)
※撮影:@ciafort_phot