2021.03.22

脱サラ移住で独立就農
苦労の先に見つけた楽しみとは

阿部陽介さん/水菓子屋乃介
農園所在地:山形県大江町
就農年数:5年目

就農イベントから3ヵ月で就農を決意

神奈川県出身で東京のIT系企業に勤め、管理職として活躍してきた阿部陽介さん。「最初から最後まで自分が責任を持てるような仕事をしたい」そんな思いから農業に興味を持った。
現在は夫婦で移住し、農業経営者として果樹、野菜、米を栽培している。そんな阿部さんの移住就農の歩みを紹介したい。

阿部さんと、後の移住先となる山形県大江町との出会いは「新・農業人フェア」だった。農業に興味を持ち、まずは情報収集にと参加したイベントで、大江町がブース出展していたのだ。
「山形県は両親の地元ということもあって、縁を感じました」。大江町の担当者は、大江町就農研修生受入協議会(以下、OSINの会)のメンバーだった。OSINの会は農業後継者の育成と大江町の地域発展を目的とした組織で、受け入れ農家の体制を整え、新規就農希望者の大江町への受け入れや研修、就農後のサポートなどを行っている。

担当者は、農業とはどんなものなのか、5年後、10年後にはどう収入が変化していくのか、栽培品目や必要な面積、最終的な売り上げ予測に至るまで、資料を使って丁寧に教えてくれた。

それから1カ月後、阿部さんは大江町の畑を訪れた。
「OSINの会の新年会にも参加させてもらい、地元の人や移住した先輩とも交流できました。ここなら移住者もたくさんいて、安心できると感じましたね」
1週間の研修に参加して雪の中での作業も経験し、大江町に住むこと、農業をやることへのイメージがついた。就農イベントの参加からわずか3ヵ月後、阿部さんは奥さんと山形への移住を決めた。

焦る気持ち、先輩の支え

まず農業を知るために現場経験を積もうと、OSINの会で2年間の研修を受けた。OSINの会には、地域の農家でで農業技術と経営について学べる現場研修のプログラムがある。阿部さんは1年ずつ違う農家のもとで学んだ。

「急いで農業技術を習得し、独り立ちして早く生計を立てられるようにしないと……と焦る一方で、知識や技術を経営に生かせるまでには、2年ではとても足りないということも痛感しました」

焦る気持を抑えながら就農計画を立て、栽培する作物を検討した。研修先の農家がスモモを栽培していたこともあり、生育スピードや出荷状況のイメージがついたのでスモモを栽培することにした。スモモ栽培が軌道に乗るまでの収入を確保するため、露地野菜や米の栽培など農閑期がないように複数の作物も育てることにした。

「果樹は害虫被害があってうまく生育せず苦労しました。農薬の撒き方などを試行錯誤して、質量ともに売りに出せると実感できたのは就農から4年経った2020年です」

阿部さんの苦しい時期を支えたのは、地域の人たちだった。
栽培上の課題については、研修でお世話になった師匠に度々聞きに行った。野菜の生育が悪いときはOSINの会にいる農家の先輩や同じ移住仲間に相談し、新しく畑を借りたい時は借してもらえそうな土地を教えてもらった。日々出てくる悩みを相談できる人がいることは、阿部さんにとって大きな心の支えになった。

成果を数字でみられる楽しみ

就農5年目となる今は、スモモに加えて、サクランボの植え付けの最中だ。2021年度からはモモの出荷もスタートする。目下の課題は収量の確保と質の向上だ。病害虫の対策や肥料の与え方などを工夫する必要がある。

「見た目も味も、先輩農家には及ばないですね。味比べをすると、酸味や甘さに違いがあって、まだまだだなあと感じます」そう笑う阿部さんの表情に、就農当時の焦りはない。
「収量や売上など、自分のやったことが数字に表れるのでそこを楽しめています。収穫量は年ごとにグラフにして比較したり、売上の数字を去年と比べてみたり……。自分に足りない部分と成長できた部分が目に見えるので、モチベーションになっています」

就農者の後輩とともにチーム「水菓子屋乃介」を立ち上げ、作物の共同販売もスタートした。これからどう変化していくのか。そう考えるだけでワクワクしている。

阿部さんは現在、OSINの会のメンバーの一員として事務局を務めている。新規就農してきた後輩の悩みを聞いたり、自身の確定申告書を見せながら実務でもサポートしている。
阿部さんもこれまで、先輩の「大丈夫か」という声がけに救われてここまできた。
「先輩達が自分にしてくれたように、大江町で農業をしようと思っている後輩達をサポートしたいですね」
移住者がまた新しく来た移住者を支え、担い手の輪がつながっている。