「カタチのあるもの、食べ物を作ろう」
経済危機と震災を経て、IT業界から農業へ

宮本暢常さん/ 株式会社「農人たち」代表
農園所在地:栃木県宇都宮市
就農年数:9年目 2012年就農
生産:有機肥料100%、栽培時農薬不使用の農法にてサラダ春菊他、多品種の季節野菜を生産

20年間慣れ親しんだIT業界を去るきっかけは、
リーマンショックと東日本大震災

栃木県宇都宮市で農業を営む宮本暢常さんは、今年で就農9年目。就農前は東京で20年以上IT業界に身を置いていたという異色の経歴の持ち主だ。

大手IT広告代理店、大手外資系保険会社のWEB広告担当、ITベンチャー役員など、プレイヤーとしてもマネージャー、経営者としても豊かな経験を積んできた宮本さんは、なぜ、全く違う農業の世界に飛び込んだのか、その理由をまずは聞いてみた。

「大学時代から映画製作などに取り組んでいて、“ものづくり”はもともと好きだったんです。その中でインターネットの面白さを知り、IT業界へ進みました。まだ生まれたての業界で先駆者がおらず、その中でやりがいのある仕事をすることができました。でも、経験を積むにしたがって、ITは好きだけれど少しずつ “カタチが残らないもの” を作ることへの違和感を感じるようになって。足元が、どこかふわふわと落ち着かない感じを抱えていたんです」

そんな宮本さんの転機となったのが、世界的な経済危機となった2008年のリーマンショック、そして、2011年の東日本大震災だった。

リーマンショックが起こった当時、大手外資系保険会社のWEB広告担当者として勤務していた宮本さんは、その影響を大きく受け、仕事が一瞬にして無くなる経験をしたという。そして、「実態のないものをつくる」ことに危機感を募らせた。その後に発生したのが、2011年の東日本大震災だ。当時、約150名の社員を抱える企業役員だった宮本さんは、帰宅難民になる社員や、コンビニに食べ物がなく困り果てる社員に何もできないことに大きなショックを受けたという。

「有事において自分には何もできないと思い知ったんです。周囲は混乱し、困窮している。そういった場面に役立つのは、食べ物を提供する仕事だと思いました。じゃあ自分もその道に進もう。すべての根源である食べ物を作る仕事をしようと、その時、思い至ったんです」

こうして宮本さんは農業への方向転換を決意。思い立ったら即行動と、翌2012年には、生まれ育った栃木県宇都宮市に移住した。

鎌倉時代に建立された宇都宮市の熊野神社から見る里山の景観。こうした自然に魅了されて移住を決意した。

 

農家の親戚を手伝うことからスタートした農業。
2年目には独立して自分の畑を持つように

「ITを辞めて、農業をやろう」と栃木県にUターンした宮本さんだが、当時は、農業を始めるにはどうすればよいのかという知識は全くなかったという。

「行政に相談するなどということは思いつかなかったんですよ。とりあえず、作って売ろうとだけ考えていましたね。(笑)ちょうど地元で農家をやっていた親戚が、人手が欲しいということだったので、手伝いに行くことにしました」

親戚が手掛けていたのは、できるだけ農薬を使用しないアスパラガスの栽培。その手伝いをしつつ栽培の基礎を学んだ宮本さんは、およそ1年後に独立。自分の畑を持って野菜の生産をスタートした。

「夏場は朝4時から畑に出て、気がつくと夜になっているという毎日。車の中で寝ているなんてこともありましたが、土に触れて新しいことにチャレンジする充実感がありました」

独立にあたって宮本さんは、現地に何度も通い、人間関係を作りながら農地を貸してくれる人を見つけていった。また、個人事業主として開業した後ではあったが、就農について行政機関に相談し、補助金の申請も実施。その結果、就農2年目には補助金を受け取ることができたという。

故郷の栃木県宇都宮市で就農することに迷いはなかったのかと聞くと、宮本さんは「ここでなら大丈夫だと確認していた」と答えた。理由は、首都圏からほど近く、高速道路で結ばれているため人、物の流れが活発であること。都心との物流コストも低く、内陸のため災害も少ない場所であることだ。

また、親戚と同じように、栽培中は農薬を使用せず、有機肥料のみで野菜を生産※することも、早くから決めていたという。理由の1つは、慣行農業にはすでに成熟した市場があるため新参者がそこで勝負をすることは難しいと考えたからだ。またもう1つは、世の中がサステナブルライフに注目し、オーガニック傾向が高まりつつある今だからこそ、有機肥料だけを使い、農薬をできるだけ使わない野菜の市場には、可能性があるという考えを持っていたからだという。
※宮本さんが行っているのは土壌を重視した無化学肥料&栽培期間農薬不使用の農法。

「SDGsの発表以降、社会的に環境負荷を軽減しようという機運が高まっています。だからこそ、有機農業には勝算があると考えました。確かに慣行農業より手がかかる農法ですが、将来的にテクノロジーの導入などで作業効率を向上していけば、地球規模的な価値を見出すことができるはずです」

一つひとつ、「なぜこうするのか」を明確にしながら歩んでいく宮本さんの姿は、長くマーケティングの世界で戦ってきたビジネスマンそのものだった。

他業種を知る経営者だからこその、農業経営と選択。
年に数回しかトライできないからこそ、長期視点で考える

宮本さんは数年前にアスパラだけの生産から多品目の季節野菜生産へ切り替えたという。その理由についても、実に理路整然とした回答を持っている。

理由の1つは、アスパラは市場の需要も高く、キロ単価も安定している反面、生産には実はとても手間がかかること。またその他にも、単品種の生産では、繁忙期と閑散期があるためスタッフの通年雇用が難しいこと、病気リスクや災害リスクが高くなること、など様々な理由があったのだという。

「スタッフさんを安定的にパート雇用できると、生産計画も立てやすくなります。また、清算中は農薬不使用という栽培方法は、慣行農業よりも収穫量がどうしても少なくなってしまうリスクがあるだけに、台風で成り物が全滅した、なんてことがあれば一大事。リスク分散という意味でも多品種に変更すべきだと考えました」

販路についても一時は、直売所や地元スーパー、飲食店、通販、百貨店販売へとチャネルを増やしていたが、数年前から通販と百貨店、駅ビルでの販売のみに絞っている。これもまた、農薬を使用せず有機肥料100%で作る野菜とチャネルの相性を分析した結果だ。

農法、生産種、販売経路。ITベンチャーの経営経験を持つ宮本さんは、その経営者視点を農業経営にも多いに生かしている。そんな宮本さんが感じる、農業の難しさとはいったい何だろうか。

「とにかく、チャレンジできる回数が異常に少ないことです。IT業界を含め他のビジネスはトライ&エラーを何度も繰り返して正解を導きだします。そのサイクルも速く、何度も何度もテストを繰り返すんですが、農業ではそのチャンスが年1回、多くても年数回という圧倒的な少なさ。正解を導き出すまで何年かかるんだろう、と最初はそのスパンの長さに驚きました。焦らず、長期的な視点を持つことが、農業経営には必要不可欠なんです」

現在、若い世代の就農相談に乗ることも多い宮本さんは、この農業特有の「他業種との時間的感覚の違い」を彼らにまず伝えているという。

「他と違って、半年で結果を出しますなんてことが絶対にできない業種ですから。それを理解した上で農業をやるかどうか決断してもらわないといけないと考えています」

株式会社「農人たち」の設立で、
「農業×○○」を、たくさん作っていきたい

「農業には様々な可能性がある」と語る宮本さんは、現在は生産に加えて、農業体験事業や、コンサルティング事業なども手掛けている。その実施母体となるのが数年前に宮本さんが立ち上げた「株式会社農人たち」だ。

「農業という産業は、食べものを作るという大きな意義を持つとともに、受け皿が非常に広いという特徴を持っています。例えば以前に私が身を置いていたIT業界はツールを作る業界でした。一方で農業はそのツールを使う業界であり、他業種から参入される広さを持っています。つまり農業はどんな業界とでもコラボレーションして、新たな仕事を作り出せる。だからこそ、その可能性をもっと広げたいと思い、“農人たち”を立ち上げました」

様々な分野の専門家とコラボレーションするラボ的な場所として機能しているという「農人たち」。そのネーミングには、「みんなでやろう」という宮本さんのメッセージが込められている。

観月祭の風景。 参加者には、雅楽と無農薬野菜を使用したケータリングを楽しんで頂いた。
ニンニク収穫体験の一コマ。子供たちは真剣に収穫作業に励む。

「近々、新たにケータリング事業が始動予定です。規定外商品など出荷できない野菜を使って惣菜を作り、ケータリングするこのサービスは、フードロス削減にも、畑ごみ削減にもなる。この事業のように社会課題解決のために農業で何ができるか、どんなコラボレーションができるかを今後もどんどん考えていきたいですね」

さらに宮本さんがこれから実現したいプランの中の1つには、農業団地プロジェクトがある。新規就農希望者が集まり、工業団地のように農業ビレッジを作るというこの構想。それぞれが生産活動を行いつつ、ガレージベンチャーのように新たなビジネスを生み出す母体となれればうれしい、と宮本さんは期待を込めた。

畑を見下ろすテラスデッキでの憩いのひととき。

野菜の生産をしつつも、幅広い事業を展開している宮本さん。生産の先にある農業の可能性を、その目はどんなふうに見ているのか。「農人たち」とともに他業界を巻き込んで、さらに大きな広がりを見せるだろう新たな農業のカタチを、宮本さんとともに、さらに見てみたくなった。

就農を考えている人へのメッセージ

今、多くの人が新規就農に興味を持っています。私のところにも20代の若者たちが話しを聞きにきてくれるのですが、彼らに必ず話すのは、「農業は自然相手の職業だけに、自然を受け入れ、理解し、正しく恐れることが大事」ということ。そして、先ほども言ったように「ロングスパンで考える長丁場な仕事」だということです。
大変なことはたくさんありますが、日が昇り、日が落ちるという自然時間の中で働き、良質な睡眠をとって、めちゃくちゃ美味しい野菜、ごはんを食べられるのが、農業。ライフバランスは抜群によくなるので、やろうという決心がついたら、ぜひ、踏み込んでみてください。