2022.04.04

ブランド玉ねぎの開発で、未経験から売上1億円を達成。
これからは農業で淡路島に恩返しを

迫田 瞬さん/淡路島希望食品有限会社 2525(ニコニコ)ファーム
農園所在地:兵庫県南あわじ市
就農年数:10年目 2012年就農
生産:主にオリジナルブランドの玉ねぎ「蜜玉」(特別栽培・100%有機肥料)、レタス

淡路島産玉ねぎの美味しさに驚愕!
ラーメン屋店長から、玉ねぎ農家への転身を決意

瀬戸内海に浮かぶ兵庫県淡路島の名産といえば、温暖な気候の中でじっくりと育つ、甘く柔らかい玉ねぎだ。炒めると飴色に輝くこの玉ねぎは、全国でも高い人気を誇る逸品。島にあるたくさんの玉ねぎ農家の1つ、2525(ニコニコ)ファームの経営者である迫田瞬さんは、この玉ねぎに魅せられ、「ラーメン屋店長」から「玉ねぎ農家」に転職した人物だった。

前職は飲食企業でラーメン屋の店主をしていたという迫田さん。いったいどんなきっかけで「玉ねぎ農家になろう」と考え始めたのだろうか。

「ある時、“日本一美味しい玉ねぎ!”というキャッチコピーが書かれた淡路島産の玉ねぎを手に入れて、試しにそれを使ってラーメンスープを作ってみたんです。すると、今までのスープとは比べ物にならないほど美味しいスープができ、コクがあり旨味も抜群。何だこれは!玉ねぎってすごい!と感動して、こんなに美味しい玉ねぎを自分でも作りたいと思ったんです」

ここで、「お店のスープに淡路島産の玉ねぎを使いたい」ではなく、「自らの手で日本一美味しい玉ねぎを作りたい」と考えるのが迫田さんのユニークさなのだろう。善は急げと当時勤めていた会社の社長に、新規事業として「淡路島産ブランド玉ねぎの生産」を提案。玉ねぎづくりは会社の新規事業には採用されなかったものの、社長からの出資をこぎつけ、迫田さんは本当に玉ねぎ農家になってしまったのだ。

 「玉ねぎは色々な料理に使える万能野菜です。需要が高く、各家庭に必ずあると言っていい。だからこそ、自分たちでブランディングして、ブランド野菜として売り出せば必ず売れると考えていました。社長は熱く語る僕の姿をみて、“じゃあ、自分でやってみればいい”と背中を押してくれたんです」

社長からの申し出に、「はい、やります!」と即答した迫田さん。農業は全くの未経験だったが、迫田さんの「日本一美味しい玉ねぎづくりへの挑戦」は、こうして幕を開けることになったのだ。

玉ねぎの栽培技術習得、ブランド化、販路開拓、販売計画。
先輩生産者の教えと支援で、一つひとつ前に進むことができた

新規事業提案からわずか半年後の2012年6月、迫田さんは会社を退職し、単身、淡路島に移住していた。そして、7月には「淡路島希望食品有限会社 2525ファーム(にこにこファーム」を設立。猛スピードで玉ねぎづくりの準備を進めていた。

 しかし神戸出身の迫田さんにとって淡路島は、縁もゆかりもない場所。そんな中で、まず最初に迫田さんが頼ったのは、島内で野菜の冷蔵庫業を営む友人だったという。迫田さんはこの友人を介して、ブランド玉ねぎを生産している農家さんを紹介してもらった。ここで教わったのは「野菜をブランド化する手法」だ。そして次に出会った神戸出身の玉ねぎ農家さんこそが、生産技術や販路開拓まですべてを迫田さんに教えてくれた、「師匠」である。

「師匠も神戸からの移住者として、地域に溶け込みながら農業を営んできた人。境遇が似ているからこそ、農業のことだけでなく、地元の皆さんとの付き合い方についても教えてもらうことができました」

生産も販路開拓についても高いスキルを持っていたという師匠。当初から「日本一美味しい玉ねぎを作り、ブランド玉ねぎとして販売する」という構想を持っていた迫田さんは、師匠の営業スキルから、たくさんのことを学んだという。「めちゃくちゃ怒られましたが、めちゃくちゃ感謝しています(笑)」そう語る迫田さんの表情から、いい師弟関係があることがうかがえた。

また、生産・販売面だけでなく、土地探しについても、師匠には助けられたのだと迫田さんは語った。移住して早々に、地域の方の仲介で5反の畑を借りられる目途が立った迫田さん。スムーズに契約は進んだものの、借り受け後に水利権(田畑に河川などの水を利用できる権利のこと)について情報の行き違いが発生。地域の農家さんたちと揉め事になってしまったのだという。「もうこの地域で農業はできないかもしれない……」とひどく落ち込む迫田さんに、手を差し伸べたのが師匠だった。

「師匠の紹介で新たに借りられる7反の土地が見つかり、1年目は、何とかそこで玉ねぎ栽培をスタートすることができました。水利問題が発生した土地については、1年かけて対話を続けて誤解を解き、ようやく2年目から玉ねぎ栽培ができるようになりました」

 移住して、土地を借り、野菜を生産、販売するためには、地域の方々との関係づくりが必要不可欠。そう深く肝に刻んだ出来事だった。

オリジナルブランド玉ねぎ「蜜玉」誕生!
道の駅から、全国へはばたく逸品へ成長

師匠の指導を受けながら玉ねぎの栽培をスタートした迫田さんは、分からないことがあれば、師匠や周囲の農家さんからアドバイスをもらい、近所の肥料販売店の営農指導なども受けながら「美味しい玉ねぎづくり」を追求し続けた。

 中でも迫田さんが力を入れたのが肥料の研究だ。最初に行ったのは、化学肥料のみを使う玉ねぎと、有機肥料のみを使う玉ねぎを同じタイミングで定植して収穫し、味の違いを確かめるという実験だった。結果は一目瞭然。有機肥料のみで栽培した玉ねぎはえぐみの少ない、甘味がダイレクトに舌に伝わる玉ねぎになったのだ。

「成分調査をしたところ、有機肥料のみで栽培した玉ねぎでは、苦みやえぐみの原因となるピルビン酸の量が圧倒的に少なかったんです。この結果を受けて、うちでは、慣行栽培から化学肥料・農薬を50%以下に削減する特別栽培※を選択しつつも、肥料については有機肥料100%にすると決めました」

※特別栽培とは・・・その農産物が生産された地域の慣行レベル(各地域の慣行的に行われている節減対象農薬及び化学肥料の使用状況)に比べて、節減対象農薬の使用回数が50%以下、化学肥料の窒素成分量が50%以下、で栽培された農産物のこと

そして、その後も様々な肥料について研究を続けた迫田さん。このあくなき探求の末に誕生したのが、オリジナルブランド玉ねぎ「蜜玉」だ。

 一方、美味しさの追求と並行して迫田さんが進めていたのが、当初から構想していた「玉ねぎのブランド化」だった。1年目の出荷時からブランド玉ねぎとして販売したいと考えていた迫田さんは、販路開拓の途中で、ブランド化をサポートしてくれるパートナーと出会っていたのだと言う。そのパートナーとは、淡路島で「道の駅うずしお」を運営する「株式会社うずのくに南あわじ」のとある社員(2012年当時)。ブランド化に対する思いをその人に熱弁したところ、「一緒にやりましょう」と言ってくれたのだ。

「ロゴデザインをはじめ、ブランド化における様々なサポートを、その方から受けることができました。生産に関しては僕自身まだまだ駆け出しです。とにかくきれいなものだけを販売しようと、1つ1つ手作業で選別して、手のしわがなくなるくらいピカピカに玉ねぎを磨き上げましたね。そのおかげか、蜜玉は出荷1年目からお客様に美味しいと好評で、本当に嬉しかったです」

とはいえ、最初から売上も好調だったかと言えばそうではない。1年目は目標1000万円に対し350万円の売上で約700万円の赤字。2年目も78万円の売上で約600万円の赤字だった。「2年で約1300万円の赤字を背負い、それでも農業を続けられたのは、最初にお話したラーメン屋店主時代の社長が資金面でのサポートをし続けてくれたからです」と、迫田さんは語った。

低空飛行を続ける売上。しかし、このままでは「蜜玉」は終わらなかった。迫田さんが不屈の精神で美味しさを追求し続けた結果、4年目を迎えるころから「蜜玉」はとうとう快進撃を始めたのだ。この年には商標登録を行い、道の駅以外の場所にもどんどん出荷されたことが、売上にさらなる弾みをつけた。全国各地でその美味しさが話題となり、売上はまますます好調になっていく。そして2021年度、とうとう「蜜玉」は売上1億円を突破するまでに成長したのだった。

「現在の販路はスーパーへの卸がメインになっています。阪急オアシスなど関西圏を中心とするスーパーや百貨店にも展開し、全国各地で蜜玉を購入していただけるようになりました。就農以来ずっと心がけているのは、お客様の方を向くこと。自ら売り場に立ってお客様の声を聞き、スーパーのスタッフさんとコミュニケーションを取りながら、一緒に“お客様が手に取りたいと思える売り場”を作らせてもらう。そういった取り組みの一つひとつが結果的に売上UPにつながっているのだと感じています」

 

また、季節問わず固定価格の「蜜玉」。その理由は、お客様に安定的な価格で提供できるからであり、生産者が農作業に集中するためなのだと迫田さんは語った。

「固定価格にすることで、売上目標を達成するために、一反あたり、どのくらいの量の玉ねぎを作ればよいのかが見えてきます。だからこそ、あれこれ考えず、目の前の農作業に集中できるんです」

迫田さんは、最初に掲げた「日本一美味しい玉ねぎをつくる」ことを一心に貫いてきた。そして、その玉ねぎをお客様に届けることにありったけの力を注いでいる。売上1億とは、そういった熱意の上に成り立つものなのだと話を聞きながら感じた。

また、一つ感じたのは、迫田さんが各岐路において、必ず強力なサポーターを得ているということだ。1人目はラーメン屋店主時代の社長、2人目は玉ねぎづくりの師匠、そして3人目はブランド化をサポートしてくれた企業。熱意は人を動かす。迫田さんはまさにそれを体現している人だった。

野菜物流の拠点から新たなビジネスを構想。
淡路島の農家をユニークな生産者集団に

今後手掛けていきたいことはあるかと聞くと、迫田さんは、「淡路島農家全体のバリューアップをしたい」と語った。

今まさに、地元企業とタッグを組みそれを実現する計画が進行中だ。拠点となるのは地元企業が建設中の「冷蔵庫を備えた野菜の集荷場」。ゆくゆくは、この集荷場に島内各地からさまざまな生産品が運ばれてくる。迫田さんは、それら一つひとつのブランディングをサポートし、それぞれの個性を生かした売り方、売り場づくりになどを考案する役割を担う予定なのだという。

「生産者一人ひとりにスポットを当てた販売を実現させたいですね。そして、淡路島には面白い生産者がたくさんいて、美味しいものが揃っていることをもっと発信していきたいです」と意気込む迫田さん。消費者との距離を縮めるために、QRコードを活用をして、生産者のストーリーや思い、作業の中身や畑の様子を伝えるなど、夢は膨らむばかりだ。

 最後に、就農してよかったかと聞いてみるとこんな答えが返ってきた。

「もちろんです。毎日、めちゃくちゃ楽しいですよ。百姓という言葉は、百の事柄ができるという意味もあると聞きました。ああ、その通りだな、と思っています。野菜を作るだけじゃないんですよね。これから百と言わず、五百、千と成長していきたいですね」

まさにアグレッシブな熱い農業経営者。このパワーが淡路島から全国へ広がる日もそう遠くないだのだろうと感じた。

就農を考えている人へのメッセージ

信念を曲げないことと、まわりを巻き込むこと。この2つが僕からのアドバイスです。ちなみに僕は、「30歳までに起業する」「日本一美味しい玉ねぎをつくる」という信念を曲げずにここまできました。信じて進めば、実現できることがあります。また、野菜作りに集中するだけでなく、その野菜を買ってくれる人のことをきちんと想像することも忘れずに。ぜひ、どのような人たちに、どのように食べてほしいか思い描きながら、野菜作りに挑戦してください。