ニワトリが卵を産むように、新しい価値を生み出したい。
農業のイメージを刷新し続ける徳森養鶏場の挑戦

ノーマン裕太ウェインさん/徳森養鶏場
農園所在地:沖縄県うるま市

モデル・通訳・プロダーツプレイヤーとして活躍。
ひょんなきっかけで、祖父が経営する養鶏場へ

沖縄県うるま市にある「徳森養鶏場」は、1967年に創業した老舗の養鶏場。現在は2代目のノーマン裕太ウェインさんが代表をつとめている。アメリカ人の父と日本人の母を持つノーマンさんは、2016年に徳森養鶏場で働き始め、2017年に創業者の祖父から養鶏場を引き継いだ。たった2年で代表の座についたことになる。

興味深いのは、養鶏場で働く前はまったく養鶏とは関係ない生活をしていたことだ。高校卒業後、沖縄県内の大学に進学すると、学生時代はミスコンで優勝し、県内でモデル活動を開始。卒業後は通訳・翻訳の仕事をしながらダーツバーの店員を兼業し、プロのダーツプレイヤーとしても活躍。チーム戦で日本一になって世界大会に出場したこともある。

華やかな経歴を持っているノーマンさんは、どんな経緯で養鶏場を継ぐに至ったのだろうか? どこかで養鶏の修行や勉強をした経験はなく、継ごうと思ったこともなかったという。「今考えれば、導かれたような感覚なんです」と語る。

「父が海外転勤になり、実家が空くので、母が『あんたたち住んだらどうね?』と提案してくれたんです。自分は21歳で結婚して子どももいたので、一軒家に住めるのはありがたく、それまで住んでいた沖縄市の家を引き払って地元のうるま市に戻ってきました。実家ではおじい(祖父)が養鶏場を経営していたので、おじいと話をして、若くから勉強して養鶏を始めるのもいいんじゃないかと考え、入れてもらったんです」

養鶏場をやるぞ、という意気込みがあったわけではなかった。あくまでも引越しが目的で、そこにたまたま養鶏場があったから入った、というのが実情のようだ。当時は、それが人生の分岐点になるとは思いもしなかった。

「おじいには『給料も減るし、今の会社で頑張ったほうがいいんじゃないか?』と心配されました。でも、当時の自分は養鶏に将来性を感じていたんでしょうね。とはいえ、根拠があったわけではなく、直感だったと思います」

「まずはLINEをインストールしてもらうところから」
素人が養鶏場を改革し、代表になるまで

当時の徳森養鶏場の従業員は、その道50年の祖父と、職人気質の年配者が数人。日々の仕事は長年培ったカンと現場の空気感をもとに行われていた。言い換えれば、データがなかった。全部で何羽のニワトリがいて、どれくらいの餌を食べているのか。卵は毎年何個生まれているのか。こうした重要なデータはすべてベテラン従業員の頭の中だけにあり、かつ、正確には計算されていなかった。

だから、新規就農者の自分にはわからない。分析することも、何かが起きた時に対策を考えることもできない。それは問題ではないだろうか、とノーマンさんは考えた。

経営状態もそれほど良くはなかった。なんとか養鶏場を維持できていたが、みんな働きづめでカツカツの状態。何かが起きたらコストカットして耐えるしかない。しかし、沖縄には小規模の養鶏場が多く、徳森養鶏場で飼育していたニワトリ数は、当時で約2万羽。100万羽、1,000万羽も飼育している全国の大手グループにコスト対決を挑むのは無謀で、現状維持のままではいずれ苦しくなることが目に見えていた。

だからノーマンさんは、いろんな養鶏場に視察に行き、そこで学んだことを徳森養鶏場に還元しようとした。そのためにデータを取り、従業員たちに数字を見せ、「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」と何度も提案した。

「まずはLINEをインストールしてもらって、グループを作り、コミュニケーションを増やすところから始めました。簡単には進まなかったんですが、メンバーに恵まれていたとは思います。従業員には叔父さんや叔母さんなどの身内もいたので、甥っ子の自分の話は聞いてくれる。やりたいことを何度も伝えて、それと同時に、自分ひとりでも動いていく。そのうちにだんだんと理解してくれるようになりました」

そうして養鶏場に転職して2年目、祖父に「継ぐのはどうか?」と提案され、ノーマンさんは養鶏場を継ぐことになった。

自分たちらしさとは何か?
考えた末に見つけた「地域」という答え

ノーマンさんが代表になってから仕掛けた施策はたくさんあるが、ブランド卵『くがにたまご』の開発はその代表的なものだろう。『くがにたまご』は、うるま市の特産品である黄金イモと地元の地下水(黄金水と呼ばれている)で育てたニワトリが産む卵。「くがに」とは沖縄の方言で「黄金」を意味する。コクと余韻があり、発色も鮮やかな卵だが、いちばんのこだわりは、地元の餌を原料にしたことだ。

「徳森らしい、徳森養鶏場の看板になる卵が必要だと思ったんです。徳森らしさとは、成分や色味ではなく、『地域』なのではないか。そう考えて、地域の原料をいろいろ試しました。その結果、黄金イモとの相性が良かったんです」

しかし、開発は順調に進んだわけではなかったという。

「自分はこの開発が絶対に必要だと確信していたけれど、その危機感は、最初はみんなにあまり伝わらなかったんです。だからひとりで動いていました。農業改良普及センターさんなどに相談しながら、どうにかこうにかまとめていきました」

そうして2018年、構想から2年をかけて『くがにたまご』が完成。徳森養鶏場の看板商品になり、うるま市の推奨品にも認定された。名実ともに地域を代表する卵へと成長したわけだ。

もうひとつ重要な施策は、ニワトリの育て方について。徳森養鶏場では、ケージの窓を全開にしてニワトリが自然の光や風を浴びられる「セミウインドレス鶏舎」を採用していたが、ノーマンさんの代になってから、ヒナの鶏舎を新しくしたという。

「ニワトリはヒナの時期が重要です。暖かくして、良い餌を与えて、広いケージでストレスなく育ててあげないと、大人になった時に体格差が出てしまい、卵を産む能力に差が出てしまう。そのための鶏舎が、自分が徳森養鶏場に入った時には古くなっていたんですね」

そこで、認定農業者となり、スーパーL資金(日本政策金融金庫が取り扱っている認定農業者向け融資)を利用して鶏舎を作り変え、ニワトリが育ちやすい環境を整備した。現場の仕事の流れもスムーズになり、個体数も2万羽から3万羽に増え、安定して質の良い卵を生産することができるようになった。

質・量を改善しつつ、売り方にも工夫を。
幅広い世代にアプローチするために、アパレルやTikTokにもチャレンジする

卵の質・量の改善と並行で進めていたのが、売り方の工夫だ。以前は市場に出荷するしか経路がなかったが、現在は全体の4割を2台の販売車で自家販売する。残りは直売施設やパックなどが2割、ホテル・飲食店・給食などの業務用卸が2割という構成で、販売経路は大幅に変化した。

2019年からは、日本初の養鶏アパレルブランド『ニワトリ』を展開。Tシャツやシャツ、キャップ、トートバッグなど、シンプルかつひと癖あるアイテムをイベントやオンラインで販売している。

「養鶏のイメージを変え、新しいことにチャレンジする姿勢を見せたかったんです」

また、弟のノーマン渉太トーマスさんの加入をきっかけに、YouTubeチャンネル『ノーマンブラザーズ』を開設。YouTuberとしてさまざまな企画動画を投稿し、TikTokもスタート。既存の養鶏・農業のイメージを超えた活動にも積極的だ。

https://www.tiktok.com/@normanbrothers/video/6912605299979324674?is_from_webapp=1&sender_device=pc&web_id=7061754965194278402

「若い世代を巻き込むことは、養鶏に限らず、農業全体にとって大きなテーマのひとつです。アパレルやTikTok、YouTubeをきっかけに徳森養鶏場を知ってほしいし、業界全体をイキイキした場所にしていきたい。こうした発信には今後より力を入れていくつもりです」

さらに、2020年末には、うるま市与勝地域の海沿いにカフェ『ゴールドコーストたまごや(Gold Coast TAMAGOYA)』をオープン。現在はテイクアウトメニューが中心だが、地域内外の人が毎月800〜900人訪れ、沖縄の穴場カフェとして一部で話題になりつつある。

「自分から動き回り、仲間を増やしていく」
覚悟を決めると、農業は人生を充実させてくれる。

さまざまな工夫を並行して行ってきた結果、転職当時は数人だった従業員も、今や20人弱に増えた。デザインやコンサル、農福連携の就労支援などで関わっているメンバーも合わせると、30名近くにのぼる。徳森養鶏場はこの数年で大きく成長した。

「そのぶん、新しい課題も増えてきました。今は、生産・販売・総務・店舗など、誰が何をやりどこまで責任を持つのかを明確にしながら、組織づくりを固めている段階です。会社員だった自分が急に養鶏場を継ぐことになり、経営者になって、最初は怖い気持ちもありました。でも、とにかく進むと覚悟を決めたんです。経営者の仕事は、どれだけ背負えるか。もちろん、最初からそんなにたくさんは背負えません。勉強して自分を強化しながら、徐々に力を貸してくれる仲間が増えて、ようやく形になっていく。ひとりでは進めなかったです」

ひとりでは進めなかった、という言葉が印象的だが、初期の頃は、自分の想いひとつだけで動いてきた。知識も経験もなく、周りの手助けもそれほどない状態で、手探りながら進んできた。その経験から、ある程度覚悟を決めないと農業をはじめることは難しいのではないか、とノーマンさんは考える。

「何かをやろうと思うと、必ず毎回壁があるからです。いろんな窓口があって、担当者に質問すれば親切に教えてくれるけれど、背中を押してまではくれません。自分から動き回らないと何も始まらないんです。だから、前提として、自分でやりきる気持ちを持つことが大事です」

とはいえ、人間だから気持ちが折れそうになることもある。そんな時、話ができる仲間を持つことも重要だという。20代〜30代の農業従事者が中心となって組織されている「農業青年クラブ」など、新規就農者を支援する場所は少なくない。そうした場所に出向いて積極的につながりを増やすことで、応援してくれる人が増えていく。

よく言われることだが、「百姓」という言葉は、農業の特徴を明確に表しているように思われる。多くのことをできるようになる必要があるから、大変なことも多いだろう。しかし、ノーマンさんは「養鶏は楽しい」と言い切る。

「細かく目標を立ててひとつひとつクリアしていくと、すごくやりがいがあるし、人生が充実していきます。最初は大変でもだんだん楽しくなる。仲間も増えていきます。若い世代の農業従事者には、想いを持った熱い人が多いです」

ノーマンさんのそうした前向きな姿勢は周囲にも伝わり、今では中小養鶏場生産団体である全国養鶏経営者会議の青年部役員にもなっている。

では、養鶏をはじめる以前と今とでは、どちらの人生が楽しいですか? そんな質問を投げかけると、ノーマンさんは「それは、愚問ですね」と笑顔で答えた。

「断然、今の方が楽しいし、幸せです」

これから先も、徳森養鶏場のでぇーじはばー(とてもかっこいい)挑戦は続く。