2023.03.23

アーリーリタイア後に移住し就農。
農園カフェやチーズ工房も併設し、
手触り感のある農業の場づくりを

東正隆さん/ベジモア・ファーム
農園所在地:山梨県北杜市
就農年数:10年目 2014年就農
生産:ブルーベリー、調理用トマト、イタリアナス、ズッキーニ、パプリカ、アーティチョーク、放牧有精卵(ネラ、甲州地どり、岡崎おうはん)など

証券マンをリタイアして移住、就農

終身雇用が崩れ、先行きの見通せない時代となる一方で、平均寿命は延びて60歳以降も働くことが当たり前になりつつある。そのような社会の中で、今後の働き方・生き方を模索している40代・50代も多いのではないだろうか。経済が成長していた時代にはおおよそ決まっていた「定年後の雛形」がもはや当てにならない今、私たちは誰の背中を見て未来を考えればいいのだろう?

その一つのヒントとなりそうなのが、今回ご紹介する東正隆さんの営農と暮らしだ。東さんは大学卒業後、日本の証券会社に入社。証券マンとして第一線で活躍し、金融危機のタイミングで外資系の証券会社に転職。昼夜を問わず忙しく働きながらも、息子さんの療養をきっかけに、30代半ばから東京と山梨県北杜市との二拠点生活を10年以上行ってきた。そして2014年、東さんが49歳の時に東京での仕事をリタイアして北杜市に完全移住し、自身の農園を始めた。

「外資の証券会社は厳しい世界です。当時は月曜から土曜の明け方まで働いて、週末は死んだように寝るという生活。50歳までだろうな、ということは入社した時から感じており、第二のキャリアを考えていました。長男に喘息があったので、週末は空気の良い所で静養させてやりたいと、北杜市小淵沢町に中古の家を買い、金曜の夜中まで仕事をした後に車を飛ばしてそこへ行って、家族で週末を過ごしていました」

東京の仕事をリタイアしたら北杜市で暮らそうとは考えていたものの、農業をするとは思っていなかったという東さん。どんな経緯で就農に至ったのだろうか。

「リタイアする3年ほど前に、山梨県の農業大学校で長男と一緒に3日間の農業体験に参加したんです。私も楽しかったけれど、何より東京の街中で育った長男がとても楽しそうだった。その翌年に農業大学校の就農トレーニング塾(全10回)に参加して農業の流れがひと通り分かりましたし、採れたての野菜がおいしく、農業って良いものだなと思うようになりました」

リタイア後、6ヶ月の農業大学校の職業訓練農業科を受講。この講座は月曜から金曜まで、週2日は座学、1日は畑で農業の基礎を教わり、後の2日は地元のベテラン農家に研修に行くという内容。講座を修了する頃、師匠である研修先の農家の方が、独立するなら畑が要るだろうと60アールもの農地を探してくれた。そんな東さんの様子を見て、妻の章子さんも「畑は一人では回らないでしょう」と東京の暮らしを畳むことにし、家族みんなで北杜市へ移住して農園をスタートさせることになったのだ。

無農薬・有機の多品種栽培、鶏やヤギも飼う循環型農業を実践

東さんは息子さんに喘息があったため、最初から無農薬・有機農業をしようと決めていた。70〜90品種の野菜を少量ずつ栽培している。

「有機農法で栽培するなら、単一品目ではなく、多品目をローテーションする方が作りやすいですし、メインの出荷先である直売所のことを考えても、一つの作物を大量に持っていっても売れないので、いろいろな野菜を少量ずつ長い期間に渡って出せる方が良いんです。直売所以外には東京時代にお世話になったレストランに卸したり、友人や知人への宅配を行ったりしています」

そんな東さんの農園は、約200本のブルーベリーの木が植えられた約3000坪の土地も加わり、約1.5ヘクタールまで拡大。イタリアナスやアーティチョークなど、道の駅やレストランで喜ばれる個性的な野菜と固定種の野菜に注力して栽培している。農園内ではネラや甲州地鶏、岡崎おうはんなどの鶏70羽を移動式鶏舎で放牧飼いにして卵を採ったり、ヤギの飼育を始めたりと、循環型の複合的な農業へと発展中だ。

カフェやチーズ工房も開設、体験の場としての農園

こうした展開は、いつ頃から計画していたのだろうか? 東さんには、かつてヨーロッパの有機農業の視察旅行で見た、農園暮らしの原風景がある。

「農業を始めてから、イタリア、フランス、イギリスへ学校給食や有機農業の視察旅行に行きました。そこでは農園の中で家畜を飼っているのはよく見られる光景で、家畜が草や虫を食べ、糞が土壌の養分になる循環型の農業が当たり前に行われていました。アグリツーリズムも盛んで、泊まれるようになっている農園も多くありました。その視察を経て、家畜も飼い、農業体験ができる場も実現したいと思うようになりました」

その夢を、東さんは証券マン時代のスキルを生かし、農業者や事業者が使える助成金などを適切に活用しながら、一つひとつ着実に形にしていった。

2018年には農園カフェ「ベジモア・ガーデン」をオープン。自身の農園で採った野菜や新鮮な卵を使い、学生時代の飲食店でのアルバイト経験とリタイア前に通った料理学校で身につけた技術で、東さん自ら自家製パスタのジェノベーゼやオムライスなどを作って提供。コロナ禍中は来店客が減ったため、農業体験スペースとしての運用に切り替えたが、いずれはカフェも再開し、お客さん自身が収穫した野菜や卵を使った料理を出すなど、農業体験と共にランチを提供できる場にしたいと考えている。

2021年には敷地内に新たに「チーズ工房」も開設。チーズ職人となった23歳の息子さんが、手作り(クラフト)チーズを製造している。現状は知り合いの酪農家から分けて貰う牛の生乳で試作程度に作っているが、飼育し始めたヤギの搾乳が可能となる2023年夏からは自前のヤギ乳でチーズを作れるようになる。

「牛は体が大きく、飼料コストも高いのでヤギから始めました。ところが飼料高騰で酪農を辞める農家さんがいらしたので、思い切ってホルスタイン2頭を譲っていただくことになりました。いずれは乳牛とヤギの組み合わせで規模を拡大し、こちらでも問題になっている耕作放棄地を採草地として管理し、飼料も自給したいと思っています」

今年の夏は飼っているヤギの乳と鶏の卵を使ったプリンを販売する予定だ。今年の間にサトウダイコンを栽培し、来年からは砂糖(てんさい糖)も自家製のもので作りたいと言う。小麦も自作し、妻の章子さんが作るお菓子にも自家製の小麦粉を使う予定である。

東さんが農業をしていて最もうれしいのは、自分が作った野菜や卵の農産物をお客さんに「おいしい」と言って食べてもらえた時だという。

「農園で採ってきたトマトと葉物でサラダを作って、鶏が産んだ卵をオムレツにして、そんなシンプルな一皿なのに喜んでもらえる。こういう“手触り感”が何よりうれしいし、ずっと大切にしていきたいことです」 

“手触り感”のある食と農を広めたい

“Farm to table(農場から食卓へ)”を人々と笑顔で分かち合う農業の場。東さんはその先に、都会に住む人ともつながり合う「CSA(Community Supported Agriculture)/地域支援型農業」へのチャレンジも考えている。

「スーパーには同じ大きさで傷や虫食い一つないピカピカの野菜が並んでいますが、実際に作ってみると、無農薬・有機ではそんなふうにはなかなかできません。卵だって、鶏を飼ってみると、1個10円では到底できない。私のようなやり方で生産した食べ物は、やはり安く売ることは難しいので、価値を認めてくれるお客様とつながっていくことが必要です。地元のコミュニティだけに留まらず、例えば東京のタワーマンションに向けに週に1回野菜を届けるとか、逆にその方々に農園に来ていただいて農業を体験していただくといった交流ができると良いですね。気候変動や食糧危機の問題が迫る中で、私たちの野菜、チーズやプリンなど手触り感のある食材が広まることによって、循環型・複合型の農業が増えると良いなとも思っています」

証券マンを25年間勤め上げた東さんは、農業も25年やったら仕事人生は終わりにして、息子さんに全てを譲りたいと笑う。持続可能な農業の圃場として、同時に、人が集まり“手触り感”のある食や農を体験できる場としての農園の基盤を整え、次の世代へ農業の魅力をつないでいく。

 就農を考えている人へのメッセージ

東さんに、ご自身と同世代の、セカンドキャリアとしての農業を考えている方へのメッセージと、息子さん世代へのメッセージを伺った。

「北杜市は、リタイア後に都心から移住してきて農業を始める方も多い町です。その時に大事なのは、都会での成功体験を引きずって来ないこと。地域にとけ込む努力は、入ってくる側がまずやるべきことです。言ってみれば雑巾掛けから始めるような、新人の気持ちで入る。人間関係ができていないと、小さなことでもトラブルになってしまいますから。地域コミュニティでの役割なども、頼まれたら良い経験だと思ってやってみることが大切ではないでしょうか。

若い方には、農業は素晴らしい経験だと伝えたい。20代で高い志を持って北杜市に移住してくる人もいます。自然の中で生きていくのは、万人に向くわけではないと思いますが、それに触れる機会が少ない人が多すぎるのではないでしょうか。毛嫌いせずに一度は体験してみてほしい。農業をやる・やらないは別として、スーパーに行けばお金で何でも買える違和感に気づき、食の現場を知るきっかけになればと思います」