2024.03.05

Uターン後、漁師から農家へ転身
全国の農家仲間とLINEで話しながら
好きな野菜を自由に作り続ける

波片仁志さん/はがた農園
農園所在地:愛媛県新居浜市
就農年数:8年目 2016年就農
生産:ニンジン・大根などの根菜類、カブ、ほうれん草、水菜など

未知の世界に飛び込み続け、納得のいく生き方を開拓

瀬戸内海に面した愛媛県新居浜市。江戸時代に別子銅山が開かれて以来、四国屈指の工業地帯として、今もものづくりが盛んな地域だ。このまちで、あえて農業を営んでいる波片仁志さんは、北海道の釧路で不動産会社に勤めたのち新居浜市にUターンし、13年間の漁師生活を経て新規就農したという珍しいキャリアの持ち主。就農当初は運送業との二足のわらじで生活を支え、農業経営が軌道に乗った一昨年からは、自身の農園一本で歩んでいる。

「今は寝ても覚めても農業のことばかり考えて、農業沼にはまっている」と楽しそうに語る波片さんに、就農のきっかけや、独学で実践しているという農業での苦労と喜び、今後の展望などを伺った。

波片さんは高校生になるまで新居浜で育ち、大阪の建築系専門学校で学んで社会に出るにあたり、「まだ見ぬ世界を見てみたい!」との気持ちから北海道の不動産会社に就職。ところが、就職時に聞いていた建築部門が新設されるという話が実現せず、結婚を機に、父親の助言もあり新居浜へ戻ることに。子どもも生まれ、少しでも家族と一緒にいられる時間がほしかった波片さんは、会社員ではなく自営業を選択。TVをきっかけに知った漁師という職業に魅力を感じ、未経験のまま船を買ってその世界に飛び込んだ。夢中で漁を覚え十分に生計は立てられていたが、13年の漁師生活の間に原油価格が高騰して利益がほとんど出なくなり、漁師を辞める決断を迫られた。これから大学進学も控えている2人の子どものことを考え、会社員に戻ろうかと大手不動産会社の門を叩き面接にも通ったものの、「自分の人生、これでいいのか?」という疑問がムクムクと湧いてきたという。

「やっぱり“自由”ということが、僕にとっては大事な価値観。会社員というレールに乗った人生ではなく、自分で道を切り拓きたい。そう思っていた時に、漁師をしていた頃のお客さんが、農業法人を立ち上げるから興味があれば働かないかと誘ってくれたのが、農業の道へ入ったきっかけです」

波片さんは、米づくりを主力としたその農業法人で2年働く間に、事業として稲作を行うには、設備や機械などの莫大な投資に対して利益が決して多くないという厳しい現実を目の当たりにする一方で、「自営で農業をやりたい」という気持ちが強まり、畑が確保できた2016年に独立を果たした。

給食のニンジンで認知度アップ。耕作放棄地が集まってきた

農業はそれほど盛んではない新居浜では、農地の確保も簡単ではなかったが、波片さんは新規就農者の知人からの紹介で、自宅から車で20分ほどの距離にある地区に、約50アールの耕作放棄地を借りることができた。薮のようになっていたその土地を苦労して開墾し、最初に植えたのが、前職での経験から唯一栽培の知識があったニンジンだ。

「そしたら、とてもおいしいニンジンができたんです。後から知ったのですが、元々その地区は昔からおいしい根菜が取れることで知られる土地柄でした。土が根菜に適しているんでしょうね。ビギナーズラックだったと思います(笑)」

そのニンジンを地元の学校給食に卸したところ、「はがた農園のニンジンなら子どもが食べる」と栄養士さんの間で評判に。地元のTV局などから取材も来るほど、波片さんのニンジンは一躍有名になった。食育の一環で、給食の時間に波片さんのニンジンづくりのビデオが流れていたため、子どもたちからも顔を覚えられ、畑にいると「ニンジンのおっちゃんや!」と声を掛けられることも。

「似顔絵シール付きのニンジンを産直コーナーの棚に並べているのですが、子どもたちが『このおっちゃんのニンジン買って』とお母さんに言うのだそうです。給食は予算が少ないので高くは卸せませんが、結果的に知ってもらえて家庭にも僕の野菜が届くようになったので、トータルで見て良かったと思います。認知度が高まっただけに変なものはつくれないと思うようにもなりました」

こうして真面目に農業に取り組む波片さんの姿を見た地域の人々から、年を追うごとに耕作放棄地が集まってくるようになった。わずか約50アールから始まったはがた農園は、8年が経過した2024年2月現在、約3.5 ヘクタールまで拡大した。

XやLINEで全国の農家とつながりつつ、販路は絞り込んで

ニンジンが人気のはがた農園ですが、現在は根菜以外にも、天候などのリスクを考え、生育の早い葉物野菜や実のなる夏野菜なども育てるようになった。栽培方法は、独立当初からインターネット等を駆使してほぼ独学で習得してきた波片さん。新居浜市は農業がそれほど盛んではないので、農業仲間は身近にはなかなか見つからないそうだが、その代わりに、XやLINEの農業コミュニティで全国のプロフェッショナルな農家とつながり、栽培方法などの知恵を教えてもらっている。

「今日も朝から、何軒かの農家さんとLINE通話で話しながら作業していましたよ。熊本や千葉、愛知、岩手、徳島…いろいろな地域の方がいます。昨年の夏にナス栽培に初めてチャレンジした時には、熊本のナスの名人に教えてもらい、その通りに真似したところ、うれしくなるほど見事な出来栄えでした。やはり現場でやっている方に聞くのがいちばん。その場で答えが返ってくるのもありがたいです」

農業で最も苦労するのは天候と獣害だそう。獣害除けの柵の設置も農地が広域になると費用が嵩むため、例えば、猪の出ない住宅街に近い畑にはイモ類を植え、逆に出る畑には猪が食べないニンジンを植えるなどの工夫で乗り切っている。

そんな波片さんの現在の販路は、地元の産直コーナーでの直売と学校給食のみ。販路の拡大については、マーケティングを勉強すればするほど手を広げることの難しさが分かってきたと言う。

「販路を絞り込んで、 “なくてはならない存在”になることが、一人で持続的に農業をやっていく良い方法ではないかと僕は考えています。幸いメディアなどにも取り上げられて認知度が上がったので、産直コーナーに並べれば完売になりますし、むしろ生産物が追いつかない状態。ネット販売も梱包や配送の手間・コストがかかるので、僕にとっては産直コーナーの方が効率的です。耕作面積は広げるかもしれませんが、人を雇うと、それもまた縛られることになる。子どもが大学を出ればお金もそんなに必要なくなるので、一人でやっていける範囲で最大限に生産性を上げて行くのが、自分に合ったやり方なのかなと思います」

 畑キャンプが次の夢、農業に挑戦したい人の後押しも

波片さんに、今後チャレンジしてみたいことを伺ってみました。

「畑でキャンプを実現したいですね。子どもたちへの食育と言っても、お勉強だと興味を持てない子もいるので、体験の機会を作ってあげたい。採れたての野菜や卵で朝ごはんを食べるような。大きくなったら一度は新居浜を出て、広い社会や世界を見ることも大事だと思います。でも、もしそこが肌に合わなかったらいつでも新居浜に帰れるように、楽しい思い出を作ってあげたいと思います。

それから、僕の息子は畑を継がないかもしれないですが、耕作放棄地の樹木を重機で抜根したりしてせっかく開墾した農園がもったいないので、その土地を貸してくれている地域の人も悲しませないように、農業をやりたいと言ってくれる誰かに先々は譲れたらいいとも思っています」

今もはがた農園では、農地の一部を興味のある人に貸して、自由に農業に挑戦してもらっている。自然農や有機農業にこだわる借り手もいて、波片さんの刺激にもなっているそう。

常に未知のフィールドに飛び込み、持ち前の探求心でエネルギッシュに自身のフロンティアを開拓し続ける波片さん。そんな彼のように、農業をやったことがないからこそ挑戦し、未知の世界と未知の自分を楽しむ経験をするのも面白そうだ。

就農を考えている人へのメッセージ

「新規就農に関して厳しいこと言う人もいますが、農業にチャレンジしたい人はどんどんやったらいいと思います。漁業も農業も、新居浜では小さな産業だったからこそ未経験の僕でもすんなり参入できたし、自由につくりたいものがつくれています。規模の小さい産地で農業を始めるのには、そういう利点もあると思います。自分が楽しめるかどうかがいちばん大事。とはいえ、今まで僕の所で20名ほどが農業をやってみて、出荷まで辿り着いた人は1人。その人は会社として農業分野への進出を考えていて、ドローンによる農業への貢献を目指し、農業を身をもって知るために取り組んでいる人です。農業を仕事にしようと思うなら、自分なりの目標や期限を決めて挑戦してみる方がいいと思います」