2025.12.18

震災を機に、東京から熊本県南阿蘇村へ
顔の見える生産者と、顔の見える消費者の関係を築きたい

村田寿政・紘子さん/ことぶき農園
農園所在地:熊本県阿蘇郡南阿蘇村
就農年数:8年(2015年研修開始、2017年独立就農)
生産:少量多品目(年間約50品目)

生きる力に直結する、「農家」という道を決意

世界有数の規模を誇る阿蘇カルデラのふもとにある南阿蘇村。この自然に魅了された村田寿政さんは夫婦でIターンし、15反の畑で「ことぶき農園」を営む。清らかな湧水にも恵まれ、「水の生まれる郷」と呼ばれるこの村で、緑肥やぼかし肥料などを使った自然に優しい栽培方法を用い、年間約50品目の野菜を育てている。

福島県出身の村田さんは、東京のデザイン学校を卒業後、グラフィックデザイナーとして働いていた。仕事は順調だったものの、人生を考え直す出来事が起こった。それが2011年3月の東日本大震災だ。

「東京も大きく揺れ、生活にも仕事にも大きな影響がありました。なんとか出社しても、仕事がほぼストップした状態で一日中何もできず、何も生み出せない。そんな日々が続き、もしまた同じような震災が起きたときに自分は生きていけるのか。そんな疑問が膨らんでいきました」

故郷・福島の原発事故もあり、「生き方を変えたい」と思い始めた村田さん。「生きることに直結する力をつけよう」と農業に興味が沸くようになったという。しかし、宮崎県出身の妻、紘子さんの祖父母が農業を営んでいること以外に、農業には縁もゆかりもない。そこで、まずは会社員を続けながら、紘子さんと一緒に農業学校「アグリイノベーション大学」に通った。隔週で座学と実技があり、栽培計画を立てたり、畑でマルチを張ったり。パソコンの前に座り続ける生活をしていた村田さんにとっては、畑で過ごす時間は驚くほど新鮮だった。

「恥ずかしながら、それまでスーパーに並ぶ野菜の姿しか知らなかったので、野菜が育っていく姿を目の当たりにしたときは、『ああ、こんなに楽しいのか』と心が動きました」

学校から紹介された農家や、気になった農家を自分で訪ね、見学したり、手伝ったりするうちに、農業への思いが強くなった。一方で、「一時的な勢いかもしれない」という不安も。そこで、村田さんは3年半にわたり、自分の中の熱を確かめ、さまざまな情報を集めながら準備を続けたという。

「どこへ移住し、どんな農業を、誰に向けてやるのか」。そうしたイメージを少しずつ詰めていくうちに気持ちが固まり、2015年8月に熊本県の南阿蘇村へ移住した。

 助成金は、生活ではなく初期投資のために

南阿蘇村に移住を決めたのは、紘子さんの実家へ帰省する際に目にした、南阿蘇の美しい風景が強く脳裏に残っていたからだ。
「よく熊本空港を使うのですが、空港からトンネルを抜けたら壮大な風景が目の前にばーっと広がる。それが忘れられなくて。新しいことをやるのなら、気持ちよく働ける場所がよかったんです」
空港からのアクセスの良さに加え、農家を営む紘子さんの父方の実家が頼れる距離にいることも決め手の一つだった。

南阿蘇村は移住者に人気がある場所で、物件探しは少し難航したという。力になってくれたのは、在京中に「南阿蘇村・有機農業」をキーワードに探し当てた、同じくIターン移住者の先輩農家だ。移住前に何度も通いで研修をさせてもらっていたこの先輩のおかげで、引っ越しの3週間前に、借家が見つかった。引っ越しに際しては、先輩の助言をもとに手作りの「自己紹介カード」も作った。

「自分たちがどういう人間で、何をしに移住してきたのか、早く知ってもらった方がいいとアドバイスをもらったんです。農業のことだけでなく、好きな食べ物や前職のこと、夢などもいろいろ書きました。実際に、これを近隣の皆さんに配ったところ、声をかけてもらえることが多くなりました」

地域に受け入れてもらいつつ、移住翌月から先輩の元で研修を始めた村田さん。2016年春に発生した熊本地震の影響で独立は翌年にずれ込んだものの、先輩や地域のサポートで土地探しもスムーズに進み、まずは5反ほどの土地を借りて農業をスタートした。

就農時には青年等就農給付金(現・農業次世代人材投資資金)の準備型と経営開始型を活用し、農機具や資材はその資金でまかなった。「就農までに貯蓄もしていましたが、研修1年目は前年度の税金で貯蓄がごっそり減るので、資材に充てるお金が不足しないよう注意が必要でした」と振り返る。東京で看護師として働いていた経験を持つ紘子さんも家計を支える大きな力だった。就農から第一子出産までの3年ほどは看護師として働きながら生活費を稼ぎ、出荷作業などにおいては力を合わせていたという。

リスク分散できる少量多品目で、顔の見える販売を

村田さんは、農業を始めた当初から「栽培期間中・農薬不使用」と「少量多品目」のスタイルを選択した。農業学校で学んだ農法だったことに加え、新規就農者にとって現実的な選択肢だと考えたからだ。

「品目を絞る農業では、事前に出荷先を決め、ある程度の量をしっかりと出荷できる体制を整えなければなりません。しかしこれには多額の初期投資が必要です。借金から始めるのはリスクが高い。そう考えて少量多品目を選びました」

飽き性だという自身の性格にも合っていた多品目栽培は、リスクの分散にも有効だった。「例えば、ジャガイモが水害で全滅しても、水に強い里芋のような野菜がうまく生育していれば、気持ちの支えになります」と語る。作る野菜の種類は毎年少しずつ変化する。去年うまくいかなかった作物に再挑戦したり、新しい品種にチャレンジしたり。「目線を変えながら、気持ちを切り替えて取り組めるのも、このスタイルの魅力ですね」と笑う。

最初は家族や東京時代の仕事仲間など、身近な人たちを相手にした販路だったが、マルシェへの出店などを通じて、飲食店や小売店とのつながりが生まれたという。

「口コミが中心で、営業らしいことは一切していません」という村田さん。ネット販売も、通っていた農業学校が運営するサイト以外ではやっておらず、取引先(飲食店や小売店)と直接連絡をとって注文を受け、収穫、納品する方法を取っている。

「不特定多数の人に売りたいわけじゃないんです。『村田さんの野菜だから欲しい』と思ってくれる人に届けたい。畑を実際に見てもらったり、野菜を食べてもらったりして、いいなと思ってくる人に私たちの野菜を食べてほしい。消費者が“顔の見える生産者”を求めるように、僕も“顔の見える消費者”と、対等な関係でやりとりしたいと思っています」

家族で食卓を囲む時間を第一に、楽しい農業を続けていく

就農から最初の数年間は、毎年売上を伸ばしてきた「ことぶき農園」。しかし、子どもの誕生は、生活と農業の在り方に大きな変化をもたらした。「特に下の子が生まれた年には、従来の作付けスタイルでは立ち行かなくなり、農作業が完全に回らなくなった」という。そこで、冬場は思い切って出荷をゼロにした。

そもそも村田さんが農業を始めた動機は、「農業で大きく稼ぐ」というものではなかった。東京での生活は、始発から終電、時には徹夜の日々。だからこそ、子どもが生まれた今は、朝と夜に家族そろって食事することを最優先にしたい。「夫婦で限界まで働けば、もっと稼げるかもしれない。でも、東京で感じていたあのモヤモヤが再び訪れるなら意味がありません。家族で食卓を囲む時間がある今の暮らしの方が、自分たちにとっては豊かなんです」と語る。

出産で看護師を辞めていた紘子さんは収入を補うために、小売店でアルバイトを始めた。紘子さんも「農業とアルバイト、そして家族との時間のバランスを大切にしているんですよ」と笑顔を見せた。

今は少し子どもが大きくなり、作付けを増やしていこうと環境や体制を見直しているところだ。ただし、次のステップを見据えると、人手の確保が課題に。「当初は夫婦で完結できると思っていましたが、今が見極めどころです」と明かす。

また販路も、主力の「少量多品目の野菜セット」は、運賃や梱包資材の高騰により利益率が下がっている。一つひとつ手作業で調整・包装し、伝票やお便りを添えて発送する野菜セットは、手間がかかる割に、受注件数に比例して利益が上がるわけではない。

今後は野菜セットの件数は現状維持とし、飲食店や小売店向けの直販を強化していく方針。もともとカラフルな野菜を多く育てていることから、「料理人が求めるようなニッチな品種や、一般にはあまり流通しない外国野菜などにも挑戦したい」と村田さんは話す。

 既に2〜3年前から少しずつ新しい作物にチャレンジしており、今年は青パパイヤの試験栽培に取り組んだ。収穫期間が短い作物で、その中でどれだけ収量が得られるか、手探りでの挑戦だが、やり方次第だと可能性も感じている。

農業の魅力は、「思い通りにいかないところ」と村田さん。農薬を使わない農業では、病気が出ても薬で簡単に防除できるわけではない。50品目のうち、うまくいかない作物もあれば、翌年にリベンジして成功することもある。その試行錯誤こそが、農業の醍醐味。「植える間隔を広げて風通しを良くしたり、畝の高さを変えたり、防草シートの代わりに緑肥を使って土づくりを兼ねたり。そうした工夫を考えるのが楽しい」と語る。

家族との暮らしを大切にしながら、自然と向き合い、試行錯誤を楽しむ姿勢を貫く村田さん。今後も柔軟に、そして着実に、自分の農業スタイルを作っていくのだろう。

就農を考えている人へのメッセージ

就農には、農業を仕事にし、そこで暮らしていく姿を、どれだけ具体的にイメージできるかが大事だと思っています。自身は勢いで突き進んでしまう性格で、周りが見えなくなることがあると自覚していました。だからこそ、細かくイメージすることを心がけました。

正直なところ、利益を重視するのであれば少量多品目の農業は、あまりおすすめではないです(笑)。5~6品目程度に分散させて、それぞれをある程度の量でしっかり作ったり、1品目をしっかり作ったうえで、品目を少し増やしたりする方法がよりリスクが低いのではないかと思っています。最近はそうしたスタイルを選ぶケースが増えてきているようです。

誰しも最初から100点満点の作物をつくることは不可能です。将来を見据え、最低でも5年後の自分の姿をイメージして、ご自身に合ったスタイルを見つけてください。