2026.01.08
公務員から野菜セット販売農家へ
立山のふもとから届ける、こだわりの旬の恵み
杉田 篤信さん/山菜海(やまなみ)ファーム
農園所在地:富山県立山町
就農年数:5年 (2021年独立就農)
生産:年間約50品目150品種
家族と一緒に暮らすために、農家の道を選択
富山県立山町から、季節の恵みを詰め込んだ旬野菜を届ける「山菜海ファーム」。園主は、東京都出身の杉田篤信さんだ。2020年にこの地に移り住み、翌年に農園を立ち上げた。6反の畑で、年間50品目150品種以上の野菜を農薬を使用せず育てる杉田さんは、剱岳や雄山を望む北アルプスの豊かな自然に抱かれながら、今日も丁寧に野菜に向き合う。
自然が好きで、大学ではサンゴの研究などに取り組んでいた杉田さん。卒業後は「自然に関わる仕事がしたい」と林野庁に入庁し、東北の森林管理局で約8年間勤務した。山を相手にする仕事にやりがいを感じていたものの、富山県職員として働く妻との結婚や妻の妊娠をきっかけに、家族との暮らしについて改めて考えるようになった。
「私たち夫婦はともに公務員で、家も働く場所も別々でした。家族全員で一緒に暮らしていくには働き方や生活スタイルを変える必要があると思うようになりました。そんな中で興味を持つようになったのが農業です。家族が安心して食べられるおいしいものを自分の手でつくれたらいいなと。自給自足へのあこがれもありました」
その頃に出会った一冊の本が、小さな面積で初期投資が少なくても始められる農業を紹介したものだった。これに感銘を受けた杉田さんは、まず家庭菜園に着手。仕事を続けながら、当時住んでいた山形県小国町の山奥に小さな畑も借り、3年にわたって野菜づくりにチャレンジした。
「初心者ながら、思いのほか良い野菜が育ちました。産休中につわりがひどく、スーパーの野菜はなかなか食べられなかった妻が、なぜか僕が育てた野菜なら食べられたんです。ご近所さんや知り合いにも好評で、こんなふうに顔の見える相手に喜んでもらえる農業ができたら、なんて素晴らしいだろうと思いました」
家庭菜園や情報収集を続けるうちに、農業で生きていく覚悟が決まった杉田さん。夫婦揃って登山が好きなこともあり、「就農先として真っ先に思い浮かんだのが、妻の出身地に近い、富山県の立山連峰のおひざ元に広がる立山町でした」と話す。
農薬を使わない野菜栽培の魅力を最大限に活かせる野菜セット販売
立山町への移住を決断した杉田さんは、空き家バンクで見つけた住宅を借り、1年間、農業学校「とやま農業未来カレッジ」に通った。幸運にも、近所の方から3反の畑とトラクターを借りることもできたという。
「学校に通いながら、借りた畑で本格的な農業に近い家庭菜園ができたのでとても恵まれた環境でした」と杉田さん。
「家族が安心して食べられるように」と始めた杉田さんの野菜づくりは、農薬や除草剤を一切使っていない。しかし、この栽培方法では、規格を満たした野菜を大量に生産し、安定して出荷することが難しい。直売所に出しても価格競争に巻き込まれてしまうリスクがあった。
このリスクをどう回避し、農薬を使わない栽培の良さを最大限に活かせるか。そう考えたどり着いた答えが、少量ずつ旬の野菜を組み合わせて販売する『野菜セット販売農家』という形だった。
杉田さんは富山県内で野菜セット販売農家を探したが、なかなか見つからなかった。そこで学校の県外派遣研修のカリキュラムを活用して金沢の農家を訪ね、北陸ならではの野菜の栽培技術や経営、販売など、多くのことを学んだという。
農地探しも順調に進んだ。家庭菜園でひたむきに野菜づくりに取り組む姿が地元農家に伝わり、移住して半年ほど経った頃、3反の畑が付いた元米農家の一軒家を紹介されたという。
「納屋やトラクター、井戸水まで揃っていました。こういう物件は、空き家バンクにはなかなか出てきません。地域の人たちと関係を築いてはじめて巡ってくるものなのかもしれません。本当に幸運でした」と杉田さんはしみじみ語る。
補助金も大きな後押しとなった。「農業次世代人材投資資金(準備型)」を1年間、「農業次世代人材投資資金(経営開始型)」を5年間(現在は最長3年)活用し、併せて「就農スタートアップ支援事業」の補助制度を利用。ビニールマルチを張る機械や雑草粉砕機、ビニールハウスなど、就農に必要な設備を整えた。さらに、「青年等就農資金」の無利子融資も受けている。
補助金申請にあたり、事業計画書づくりで大切にしたのは、「自分の経験から導き出した数字」と杉田さん。インターネットに出ている一般的なデータに頼るのではなく、家庭菜園で積み重ねた実体験をもとに、株数と収穫量の関係や、畝の長さに対して必要な防虫ネットの量などを具体的に算出し、計画を組み立てたという。「準備期間の経験が、しっかり活きたと実感しました」と杉田さん。
畑の生態系を大切にした、こだわりの野菜づくり
杉田さんの野菜づくりは、安全・安心を大前提に、味や栄養価にも強いこだわりを持つ。
野菜本来の生命力を引き出すため、キノコの廃菌床堆肥や鶏ふん、米ぬか、ぼかし肥料、ミネラル資材などを活用し、微生物が豊富な土づくりに取り組んでいる。また、土壌分析も行い、「バランスの取れた土であれば、農薬に頼らなくても病気や虫に負けない、元気でおいしい野菜が育ちます」と杉田さん。
さらに、顕微鏡で野菜の細胞を観察し、定期的に栄養分析も実施。糖度やビタミン、抗酸化力が高く、えぐみの原因となる硝酸イオンが少ない野菜づくりに挑戦し続けている。
「興味を持つと、突き詰めたくなる性格なんです。気になったことはすぐに調べて、また次の疑問が出てきて、解決して。その繰り返しですね」
顧客とのつながりも大切にしている。消費者が一定期間分の代金を前払いし、農家の野菜を定期的に受け取る「CSA(コミュニティ支援型農業)」を通じて、農家と消費者が支え合う関係を育てていきたいと話す杉田さん。農家は収穫前から資金を確保できるため、不作などのリスクにも備えやすい。一方で、消費者にとっても安心して野菜を受け取れるメリットがある。
注文は、SNSのDMやメールなどを通じて、杉田さんが一人で対応。「少し大変ですが、直接のやり取りはリピーターにつながりやすく、顔の見える関係性が築きやすい」と、手応えを感じているようだ。
現在、定期会員数は約90件に上り、出荷先は全国発送が半分弱、残りは富山市や魚津市、立山町などへ配達。野菜は基本的に当日、もしくは前日に収穫したものを届けており、鮮度にも自信と責任を持っている。
困難は当たり前。想像を超えるピンチにも向き合い続ける
就農して5年。口コミなどにより年々定期会員数も増え「思い描いていた農業に近い形が実現できている」という杉田さん。一方で、「農業は難しいもの」と覚悟を決め、念入りに情報収集をして就農したものの、「それでも、想像を超えてくる厳しさがある」と明かす。
厳しさの大きな要因の一つが、年々深刻さを増す異常気象だ。近年は夏の猛暑が常に野菜を襲うが、それに加え今年の秋は連続する断続的な大雨で畑が水没し、直接畑に種を播いた大根や葉物類の発芽を妨げ不作となった。こうした状況はいまや珍しいものではない。
「困難はあって当たり前という気持ちでいますね。くじけずに、その都度原因を検証し、改善を重ねる。雨が多くても少なくても、高温でも低温でも、どうあれ対応できなければなりません。品目を絞らず多品目で育てているのは、こうした時のリスク分散でもあります。PDCA(改善のための行動サイクル)を何度も回しながら、試行錯誤しています。
季節の境目で出荷できる野菜の品目数が少なくなる時期を端境期(はざかいき)と言います。春の端境期は出荷をお休みしていますが、秋の端境期も野菜セットを販売し続けることは簡単ではありません。失敗が続くと、野菜セットが組めなくなるかもしれないという不安もあります。それでも、うちの野菜を待ってくれているお客さんへ必ず届けるために、常に余裕を持った作付けを心がけ、たとえ2〜3割不作になったとしてもセットを組めるよう少し多めに野菜を作るようにしています」
野菜の栽培と販売・経営を両立させることは簡単ではない。もちろん、家族との時間も大切にしたい。
「どうしても農業が忙しく、家族との時間を捻出するのが難しい時期もあります。今も葛藤はありますね。農業に夢中になるあまり、家族を置き去りにしてしまわないように、妻とよく話し合いながら、農業と家族のバランスを模索しているところです」
「家族が幸せに暮らすことを最優先にしながら、余裕が出てきたら、6次産業化や体験・イベントなども挑戦してみたいですね。数年以内には、妻も農業に参加する予定で、2人でできる範囲を少しずつ広げたい」と話す杉田さん。
家族と過ごす穏やかな時間と、「おいしかった」という声に支えられながら、杉田さんはこれからも土と野菜に寄り添い、人の心に届く農業を続けていくつもりだ。
読者へのメッセージ
新規就農とは、自らが社長になり、事業を始めるということ。全業種を見ても個人事業主が10年続くのは難しいと言われており、農業も例外ではありません。農家は「百姓」と呼ばれるように、作物を育てるだけではなく、事務や機械整備、営業など、百の仕事ができないと務まらない職業だと感じています。
だからこそ、まずは家庭菜園や農業体験から始めてみるのもおすすめです。特に転職で農業を目指す場合はいきなり会社を辞めるのではなく、週末に土に触れながら、その農業が自分に合っているかどうか確かめてみてください。私はやや飽きやすく、常に色々なことに取り組みたい性分だったこともあり、たまたま野菜セット販売農家が向いていました。例えばもし体力に自信がないなら、体をあまり使わない細かい作業が多い作物を選ぶのも良いと思います。作物の栽培だけでなく機械整備や簿記を含めた事務が得意なら、自分の経営が有利になるだけではなく、農業法人に就職する場合も重宝されます。自分のやりたいことや得意不得意を十分見極めたうえで進む道を決めて欲しいです。
農家は年々減少し、必要性が高まっているからこそ、そこにはチャンスがあると思います。異常気象や資材高騰をはじめ予期せぬ事態や過酷な場面も多いですが、それでも「農業をやりたい」と強く思うなら、しっかり計画を立て、準備をした上で挑戦してみてください。