2026.03.03
IT営業マンからJターン就農。
山形の地でミニトマト農家として独り立ち
鈴木秀人さん/はなひかり農園
農園所在地:山形県長井市
就農年数:14年目 2012年就農
生産:ミニトマト、ワサビ菜、ブロッコリー、ロマネスコなど
就職氷河期世代の農業への挑戦
東京のIT企業で営業として働いていた鈴木秀人さんが、山形県長井市に移住し、農業を始めてから14年余りが経つ。就農当初は花苗とアスパラガスの栽培から始めたが、経営の厳しさを経験し、ミニトマト栽培へ転向。子育てをしながら20アールのビニールハウスと15アールの露地での栽培に夫婦二人三脚で取り組み、ここ数年は経営も安定軌道に乗っている。新規就農者が直面する現実的な課題から、農業の魅力、そして持続可能な経営への取り組みまで、率直な体験談を伺った。
このままでは夢がない。より良い子育てと主体的な人生を求めて
鈴木さんは1982年生まれの、いわゆる「就職氷河期世代」だ。山形県北部で生まれ育ち、東京の大学へ進学し、若い世代の就職が困難を極めた厳しい状況の中で社会人生活をスタートさせた。
「正直、入れるならどこでもいい、というくらいの気持ちで就職活動をしました」という鈴木さん。縁あって入社したIT企業の営業部門で必死に働いたものの、社会人4年目でリーマンショックが起きた。不況の中でノルマを課せられる営業職は、心身ともに大変だったそうだ。
社内を見渡すと、子育てと家のローンを抱え、引くに引けない状況の中で働く40代の姿が目に付いた。そして、会社員生活が良いものになるかどうかは、どの部署に配属され、どんな上司の下で働くかに大きく左右される。そう考えると、自分の努力だけではどうにもならないと思われた。満員電車でベビーカーを押す母親が舌打ちをされているのを見たこともある。自分はもう少しゆとりのある環境で子育てをしたいという思いが強くなっていった。
「長男ということもあって、いつかは山形に戻るつもりで東京に出ました。ただ、会社員生活を続ける中で、そろそろ潮時かもしれないと感じるようになったんです。山形で、個人事業主として自分にできることはないかと模索する中で、農業という選択肢が浮かびました。ちょうどその頃、『ノギャル(農業をするギャル)』が話題になるなど、農業への関心が高まり始めていた時代でもありました」
農業フォーラムで出会った農家へ、会社勤めの傍ら研修に通う
鈴木さんは早速、都内で開催されていた「農業フォーラム」に足を運んだ。そこで山形県のブースを訪れ、出会った頼もしい先輩農家の元で研修させてもらうことになる。多忙な仕事の合間を縫い、土日を使って何度も通いながら、それまで経験のなかった農業を一から学び始めた。
当初、就農に半信半疑だった鈴木さんの妻も、次第に鈴木さんの行動を見て考えを改めていった。安定した収入のある会社勤めを辞め、山形県内で農家として生きていく。妻の両親にも理解を得るため、鈴木さんは農家になる決意や事業収支、今後の生活の見通しなどをパワーポイントの資料にまとめ、妻の実家を訪れて説明を行った。
「今見ると恥ずかしくなるような稚拙な資料ですが、当時はもう必死で。気持ちばかりが先走っていた部分もあったと思います」
2011年、鈴木さん夫妻は山形県南部へ移住。先輩農家のもとへ研修に通う一方、やまがた農業支援センターの研修生として月に一度、山形県北部にある東北農林専門職大学で座学にも取り組んだ。やがて研修先の紹介で、雪で半壊したビニールハウスを自分で修繕することを条件に土地を含めた賃貸借契約ができ、2012年、鈴木さんは農家として独立した。山形に戻って農業を始めようと決意してから、約一年後のことだった。
出足からつまずいた農業経営。4年目からミニトマトへ転換
順調に農家としてのスタートを切ったかに見えた鈴木さんだったが、始めてみると想定外の出来事が続いた。研修先の農家で学んだ花きとアスパラガスの栽培を主軸に据えたものの、花きは販売価格が低く、思うように収支が伸びなかった。アスパラガスも、収穫できるようになるまで約3年を要する作物だ。ようやく収穫期を迎えた年に、春先のひどい乾燥に見舞われ、収穫量が伸びず、ほとんど出荷できないという事態に。
また、ちょうど就農した2012年から始まった、新規就農者の生活を支援する制度「青年就農給付金」も、実際に交付されたのは11月。蓄えていた自己資金は、半壊状態だったビニールハウスの修繕や当面の生活費に充てるうちに大半が失われていった。
「なんとか立て直さなくては」と、生業として成り立つ作物を調べる中で、地域でミニトマトを生産している農家の先輩たちと出会った。聞けば、10年以上ミニトマトで経営を続けている農家も多い。新規就農者でも比較的栽培しやすく、収穫期間が長いうえ、安定した取引が見込める作物だという。現状を相談すると、「教えるから作ってみれば?」と背中を押され、心強いつながりが生まれた。
待ったなしの状況だった鈴木さんは、試作をすっ飛ばしてすぐにミニトマトの苗を植え付けた。1年目から体当たりで栽培に取り組み、教えを受けながら失敗を重ね、体で覚えていった。
初夏に植えて冬前まで収穫できるミニトマト。出荷先は絞り込んで
苦難を味わいながらも、良き農業仲間に励まされ、ミニトマト栽培に転換してから約10年。鈴木さんの農業経営は安定感を増してきている。
春の声が聞こえる3月頃から、土づくりや雪で傷んだビニールハウスの修繕に取りかかる。4月に苗を定植し、6月から収穫が始まる。最盛期は夏だ。この時期は、鈴木さんが「思い出したくない(笑)」と苦笑するほどの忙しさ。朝5時にはハウスに入って作業を始め、パートスタッフに加え、子どもを学校へ送った後の妻も合流する。まさに猫の手も借りたいほどのミニトマトの収穫ラッシュが続く。
収穫後は、選別作業や箱詰め、納品を行う。夕方には再びハウスに戻り、誘引や脇芽かきなどの株の世話を6時頃まで続ける。10月以降は少し落ち着くものの、ミニトマトは11月ないしは12月頃まで実をつけるため、収穫作業は続く。冬場は確定申告や来期の計画作成などの事務作業をしながら、ハウスの中で葉物野菜を栽培する。
現在、鈴木さんは出荷先をJAとその他1社程度に絞り込んでいる。この地域はありがたいことに出荷先が多く、1社と取引が始まると、他の業者からも声がかかることが多いというが、
「以前は多くの取引先に出荷していた時期もありました。ただ、そうすると日中に農作業を進めたい時間帯に、配達に追われてしまうんです。基本的には私と妻、パートさんだけで回しているので、手が足りなくなる。それで今は、出荷先を絞っています」
自分たちのリソースを見極めながら、最も安定して効率よく収益を上げられる体制を築いてきた。足場が固まっているからこそ、家族の生活を守っていける。今や鈴木さんは、自分の足でしっかりと立つ農業人であり、経営者でもある。
自分で責任を取る仕事だからこそ、仲間の存在が欠かせない
そんな鈴木さんに、農業の面白さを聞いてみた。
「やったことも、やらなかったことも、その結果がすべて自分に返ってくることです。会社員時代は営業職だったので、仕事を取ってきても、その後は技術スタッフに引き継ぐなど、最初から最後まで一貫して担当することはありませんでした。でも農業では、自分で計画して、資材を揃え、植え付けをし、収穫までを自分で担います。その積み重ねが、作物や収入という形ではっきり見える。しかも一年に一度しか挑戦できないので、今年の失敗を来年に生かすしかありません。そこが、良くも悪くも面白いところですね」
鈴木さんは、農家仲間との交流も大切にしている。30〜40代の若手農家に声をかけ、毎年1回「反省会」と名付けた集まりを開いている。一人10分ほどの持ち時間で、その年の良かった点や課題、翌年の計画を発表し合い、その後は皆で酒を酌み交わしながら、一年の労をねぎらい、情報交換を行う。
「農業は孤独なイメージがあるかもしれませんが、仲間はいます。地域のあちこちに分散しているけれど、農作業中にイヤホンをつけて『そっちはどう?』と声を掛け合いながら作業することもよくあります。そうしたつながりが励みになっています」
すべてを自分で背負う農家には、リスクはつきものかもしれない。だからこそ、こうした仲間とのつながりが、安心して続けていくための大きな支えとなっている。
鈴木さんに今後の展望を尋ねると、現実を見据えた確かな答えが返ってきた。
「ずっと続けられることが目標です。個人事業主なので、続けられないと意味がありません。ちゃんと食べていけて、子どもを育てられ、死ぬまで自分の力でお金を稼いでいけるようにしたいですね」
今年は、古くなったビニールハウスを新しく建て直し、さらに一棟増設して圃場を拡大する予定だ。自ら人生の舵を取り、足場を固めながら着実に歩み続ける鈴木さん。その言葉には、終始ぶれのない覚悟と清々しさがにじんでいた。
就農を考えている人へのメッセージ
「まずは、就農するかどうか、そしてどの作物を選ぶのかを判断するために、できるだけ多くの情報を集めてほしいと思います。その作物で本当に生活していけるのか、収入や作業量を含めて見極めることが大切です。研修先についても、一か所に絞らず、複数を見比べて選んだほうがいいでしょう。また、土に触りたいという気持ちだけでなく、個人事業主として継続できるかどうか、経営の視点で考えることも欠かせません。正直に言えば、農業経営は決して簡単ではありません。ただ、現在はNOSAI(農業共済)の収入保険などもあり、以前よりもリスクを軽減できる制度も整ってきています。それでも、もし経営がうまくいかなかった場合、立て直しには大きな負担が伴います。だからこそ、各県にある就農センターなどに相談し、自分にとって本当に適した選択なのかを確認することをおすすめします」