2026.03.17
困難を乗り越え切り開いた農業への道
阿蘇山麓で育んだ地域との絆
米田雄希さん
農園所在地:熊本県阿蘇郡西原村
就農年数:13年目 2014年就農
生産:米、サツマイモ
農業経験ゼロから始めた12年間の軌跡
熊本市中心部から東へ約20キロ。阿蘇外輪山の西麓に広がる西原村で、兄とともに米とサツマイモを栽培しているのが米田雄希さんだ。熊本市内で生まれ育った米田さんは2010年に故郷へ戻り、農業者としての人生を歩み始めた。現在は就農13年目。ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。
幼少期に心に残った、西原村の農業の風景
「小学生の時から剣道一筋でしたが、学生時代に練習で大けがをして競技を続けられなくなりました。将来に迷っていた時にふと思い出したのが、祖父母の住む西原村で見た農業の風景でした。その記憶が背中を押し、就農を意識するようになったんです」
農業経験のない米田さんは、まずは基礎を身につけようと、兄の誘いでJA全農のインターンシップに参加。2010年4月から1年間、受け入れ先の阿蘇市の農業法人で稲作の技術を学んだ。月に数回開かれる座学では、他品目を学ぶ研修生とも交流しながら視野を広げた。
米田さんはさらに深く学びたいと考え、2011年に熊本県立農業大学校に入学し、畜産学科を専攻した。
「畜産に進もうと思ったのは、インターン先の農業法人で牛を飼育していて興味を持ったからです。農産物の栽培よりも、和牛繁殖について学びたいと思い、2年間通いました」
卒業後は、その農業法人に就職。従業員として働きながら、大型農業機械操作や整備についても学んだ。1年間の勤務を経て、「自分の裁量で農業をしたい」という思いが強くなり、2014年に西原村での就農を決意した。
熊本地震での挫折と再出発
農産物を栽培しながら畜産業の開始に向けて準備をしていた矢先、熊本地震が地域を襲った。米田さんの自宅も大きな被害を受け、仮設住宅での生活を余儀なくされた。大きな初期投資の必要な畜産業は、断念せざるを得なかった。
「地震の直後は、農業を諦めようと思いました。それでも踏ん張って続けてこれたのは、妻と出会ったからです。ここで頑張らなければと、もう一度立ち上がることができました」
就農当時、手元にあったのは祖父母が所有していたわずかな農地とトラクターのみ。これまでに学んだ多少の知識はあっても、実践経験はまだ浅い。米田さんは当時をこう振り返る。
「農産物の作付けは年に一度だけ。たまたまその年は収穫できても、次の年も同じようにうまくいくとは限りません。初めは何をどうしたらよいか分からず手探り状態でした」
年によって天候は変化し、土壌の状態も一定ではない。経費をかけて肥料をまいても、自然の産物である以上、収量が上がる保証はない。
「就農当初は農業機械がなくても栽培できるカボチャを植えました。1年目は順調でしたが、2年目以降は収量が落ち、あらためて農業の難しさを感じました。土の栄養不足、天候不順、手入れ不足など、さまざまな要因が作物の出来に影響するんです」
地域に溶け込み、信頼関係を築く
苦労は栽培だけにとどまらない。就農当時は新規就農者への地域の理解が十分ではなく、農地探しも難航。栽培面積を広げようにも条件の良い圃場は一向に見つからない。そんな中、米田さんは決して好条件とはいえない中山間の耕作放棄地を借り受け、農作業の合間に草刈りやトラクターでの耕耘(こううん)、土作りなどを地道に続けた。
「貸していただける農地は全て借りて耕してきました。また、行事への参加や消防団活動など、地域と関わる努力を続けました。本気で取り組む姿を見て、だんだんと地域の人たちからも認めてもらえるようになり、『ここの畑が空いとるけん使いなっせ』と声がかかるようになりました」
就農時、約30アールだった農地は、いまではその30倍の9ヘクタールに。また、農業機械も地域の農家から譲り受けながら少しずつ増やしていった。
林業との兼業で農閑期の収入を確保
就農して数年間は、当時の青年就農給付金(経営開始型)を活用し、初期の生活費を補った。稲作とともに、これまでカボチャ、ジャガイモ、サトイモなど、さまざまな品目に挑戦し、現在は米とサツマイモの2品目に絞って栽培している。米は稲作の担い手不足により引き受ける圃場が増えていき、田んぼとセットで畑の管理も頼まれるようになったという。畑では西原村の特産物で、地元では“からいも”の名で親しまれているサツマイモを栽培することにした。現在の売上の9割は米で、残りの1割がサツマイモ。米は個人販売が大半で、親戚や知り合いからの紹介や口コミで販路を広げてきた。サツマイモは貯蔵施設がないため、収穫してすぐに全量を市場に出荷している。
「サツマイモは収穫するまでは、どのくらいの収量が上がるのか読めません。根菜類は定植してマルチを張ってしまうと、それ以上手がつけられない。ツルが茂っていても土の中のイモが細っていることがあり、ふたを開けてみないと分からない難しさがあります。農業は大変ですが、大切に育てたサツマイモがたくさん取れた時の充実感は言葉にできません」
米とサツマイモの栽培はいずれも初夏から秋にかけて。あえて同じ時期に2品目を作付けしているのは、農閑期を別の仕事に充てるためだ。冬から春にかけては、林業の経験を持つ兄とともにフォレストワーカーとして働き、地域の林業を支えている。村では林業の担い手不足が深刻で、兄弟で林業に携わることは地域貢献にもつながっている。こうした兼業で農閑期の収入を確保することで、年間を通じた生活の安定にも結びついている。
地域への恩返し、より良い循環を目指して
就農から10年以上経ったいまでも、農業は試行錯誤の連続だと話す米田さん。農業経営は一筋縄ではいかないが、年々規模を拡大することで収入の見込みが立つようになってきたとも。また譲り受けた機械の活用で、生産性も向上した。いくつもの困難を乗り越えながら地道に歩んできた道が、ようやく形になりつつある。
「将来的にはさらに規模を拡大して、法人化を目指しています。地域の高齢化で離農する人が増えていますが、中には、自身では農地を管理できないけれど、農業には関わりたいという人もいます。そんな方を雇用して、好きな時に畑に来て自由に農作業ができるような仕組みを構想しています。先輩農家さんは豊富な知識と経験を持っているので、私たちの農園で生かしてほしいです」
さらに、新規就農者の受け入れにも意欲的だ。自身が地域に支えられてきた経験があるからこそ、次の世代につないで恩返ししたいという思いがある。
「研修生として農業を学んでもらい、独立を目指してもいいし、そのまま働き続けてもいい。ただの労働力として扱うのではなく、研修を受けた人が自分の力で生計を立てられるようになるまで応援したいと考えています。地域に根付き、次の新規就農者を支える存在へと育っていく。そんな循環をこの地域で実現したいです」
新規就農者へのメッセージ
「農業を営む上で一番大切なことは、これまでに助けてくれた人たちへの恩を忘れないことです。農業はいろいろな人の助けがあってこそ成り立つもの。自分がいま農業をできているのは、見返りなしで力になってくれた人たちの存在があったからです。お互い様の気持ちで、自分が親切にしてもらったように、困っている人がいたら手を差し伸べる。そうした思いで農業を続けていくことが大切です」