挑戦と失敗を繰り返して手に入れた
自分たちの農業スタイル

竹林千尋さん/ 小松台農園
農園所在地:大分県由布市
就農年数:7年目 2014年就農 (2010年に移住し、研修スタート)

「美味しいものは自分で作りたい」。
夫の言葉から始まった、農業への挑戦

千葉県出身の竹林千尋さんが、大分県に移住して約10年が経つ。きっかけは、結婚だった。結婚前は、竹林さんも後にご主人となる諭一さんも東京で働いていたのが、諭一さんが突然、「農業するから結婚しよう」と言い出したのだ。

寝耳に水というわけではなかった。農学部出身で、食品スーパーで働いていた諭一さんは、「いつかは自分の食べるものは自分で作りたい。美味しいものをこの手で作ってみたい」とよく言っていたのだ。

「いつかは農業をやるんだろうなと思っていました。ちょっと予想より早かったんですが、でも、その時は自分も“そんな暮らしもいいかも”と思っていたので、仕事を辞めて、ついていくことに迷いはありませんでした」

金融関連企業でデータを扱う仕事をしていた竹林さんは、結婚を機に会社を退職。農業の道に進むことになった。

二人が就農に選んだ場所は、諭一さんの出身地である大分県だった。ふるさとに近い場所を選ぼうとしたが、生まれた町には畑となるような農地はなく、周辺地域での就農を目指すことにした。

「私たちの就農は本当にうまくいかないことばかりでした。今思うと、こうしておけばよかったと思うことばかりです」

話を聞くにあたって、竹林さんは「もっとうまくいっている人に話してもらったほうがいいのに(笑)」と何度も言った。確かに、竹林さん夫婦の就農ストーリーは難行苦行だったかもしれない。しかし、それを乗り越えてきたからこそ、今、自分たちならではの農業スタイルが見つかったのだ。

何より苦労した農地探し。
やっと農地が借りられたのは、研修終了から約3年後

移住当初は、推奨作物のピーマンを作ろうかと考えていたという竹林さん夫妻。しかし、すぐに決めるのではなく、たくさんの農家さんを見て回ったほうがいいのではと、見学や研修を重ねることにした。
その中で出会ったのが、大分県宇佐市のある有機農園だ。どの見学先でも、「儲からない」、「苦労する」という話を聞いていた竹林さんたちは、ここで初めて「ちゃんと儲かる農業ができる」と聞いた。

「最初は有機農業をするつもりはなかったんです。でも、素人から見ても有機で作られた野菜たちがとても生き生きとしているように見えて。しっかりと儲かる経営ができるのであれば、私たちも挑戦してみたいと思いました」

その後、夫婦ともにこの農園で研修を受け、農作業を一から学んだ。農学部出身の諭一さんも実作業の経験は少なく、畑仕事は初めてのことだらけで発見がありつつも、苦労も多かったという。

一方で、このころから二人は農地問題に悩まされるようになった。研修期間は竹林さんが半年、諭一さんが約1年。研修中も農地探しを行っていたが、全く見つからなかったのだ。有機農業においては、農薬を3年間使用しないことが条件になるので、通常よりも農地探しが難航することが多い。研修終了後、竹林さんは別の場所で有機農業を手伝う仕事をしたり、ふとした縁で知り合ったCAFÉのオーナーの紹介で、由布市にある減農薬の米農家でアルバイトをしたりしながら、それでも根気強く農地を探し続けた。その結果、ようやく3年後に有機農業ができる農地に巡りあうことができたのだ。

「その時は、やっと自分たちの畑を持つことができると喜んだのですが、ここも3年ほどで地主が変更して返却となってしまい……。今の農地にたどり着くまで、本当に大変でした。市から借りることのできた耕作放棄地は、開墾してもなかなか作物ができず、土づくりに3年もかかったんです」

それでも諦めず、知人の紹介などで少しずつ農地を増やしていった竹林さん。今では、全部で2haほどの畑を持つまでになった。

また販路についても、最初は個人客をメインとした野菜の宅配と、自然食品店などの小規模業者を中心にしようと考えていた。しかし、実際にやってみると、顧客確保、宣伝、ECサイトの更新、顧客満足度向上のためのサービスなど、予想以上の労力を割かれることがわかった。また、野菜セットを作るためには、多品目の野菜を手掛けなくてはならず、これが作業的にも大きな負担となる。「夫婦二人の労力でやっていくにはこの経営スタイルでは続かない……」。であればと、竹林さんたちは、3年ほど前から有機専門の卸業者と出荷計画を立て、年間の出荷品目と数量をある程度決めての生産に切り替えた。有機JASの認定もこのタイミングで取得し、心機一転あらたなスタートを切ったのだ。

「年間の出荷スケジュールを組み、週このくらいの生産でという話を業者の方と話しをして、今はその計画に沿って生産に取り組んでいます。天候によって出荷量を微調整し、少し余るようならECサイトで販売することも。この販売方法に切り替えてからは、スケジュールも読めて、売り上げも安定するので気持ち的に楽になりましたね」

各種支援制度についても、農地、品目が確定しないままに農業を続けていたため、申請できるものがほぼなかったという。ようやく2年前に県の有機野菜における産地づくりの補助と、農業経営を持続させる支援制度を利用することができ、そのありがたみが身に染みた。

「計画は本当に大事」と苦い笑顔で語る竹林さん。さらに、今思えば個人の有機農家での研修よりも農業大学校に通ったり、農業経営計画などの教育を受けていたりすれば、少しは違ったのかもしれないとこの10年を振り返った。

「私たちの研修は“見て覚える”という内容で、営農計画や農業経営に関しての勉強の時間は取れませんでした。就農してからでは忙しくて時間が取れない大型特殊などの免許取得や経営については、学校であれば学ぶ機会もあったのかもしれないなと思います」

有機農業だからこそ農地探しには通常よりも多くの時間がかかったということもあるが、「とにかく飛び込む」のではうまくいかない。特にその農地の推奨作物以外や有機栽培を手掛けようとするならなおさら計画が重要になる。

「学校に通ったり、営農計画を作ったり、そういう相談ができるところや人とのつながりを作ることがとても大事ですね。特に県の職員さんや農政局の方などとつながりを作っておくと情報が得られやすいです。最近になって県の方や農政局の方と知り合う機会ができてこれは重要だなと思えるようになりました」と竹林さんは噛みしめるように語ってくれた。

都会から移住して、その農地の人々とつながりを新たに作っていくことは本当に大変だ。しかし、そこに力を注がなくては、農業を始めることはできなかった。
「知らないことばっかりですから、本当に一つひとつ学んで、知っていくんです。今、山の近くの畑では獣害が出て困っているのですが、そんなこと町で暮らしていたら想像もしないですよね。電柵でイノシシは防げても、ウサギは電柵の下をくぐって畑に入ってくるので意外と厄介(笑)。自然や動物たちと戦いながら、美味しい野菜を作っています」

現在メインで生産しているのは、ネギ、ブロッコリー、フェンネル。多品目を作ってきたなかで、誰もが手掛ける品目ではなく、有機生産で価値を出せるもの、需要があるものを選び抜き、この3品目に絞ったという。

「フェンネルは漢方にも使われる美味しい野菜。ブロッコリー、ネギは通年で食卓に必要とされる野菜。今はパートの方2名と夫婦2人、合計4人の労力で、やっと経営らしくなってきました」

全国の農業女子とつながり、
課題の共有や、サステナブルな有機農業への新たな挑戦を

農業経営が行き詰って方向転換をしたころから、竹林さんは他の農業者とコミュニケーションをとることにも積極的になったという。「うちにこもっていたら情報も入ってこないし、勉強もできないなと思えるようになりました」そう語る竹林さんが、今挑戦しているのは、廃棄される貝殻や海藻などを土づくりに生かす、循環型農業だ。

「今実践しているのは、大分県の海でとれた牡蠣殻やひじきなど、廃棄される予定だったものを粉砕して畑にまき、土に混ぜ込む農法です。これによって、貝などに付着していたミネラルやカルシウムなどが土に含まれていく。海から畑へ、自然循環によって、サステナブルな有機農業を実現できたらと考えています」

SDGsを見据えた、この循環型農業プロジェクトは、竹林さんをはじめとして京都、兵庫、滋賀、宮城と全国各地にプロジェクトメンバーがいる。竹林さんが、農水省が運営する農業女子プロジェクトの集まりで声をかけ集まったメンバーだ。遠く離れているので直接会うことはできないが、SNSでグループをつくり、情報交換しながらプロジェクトを進行している。

そのほかにも近隣農家や農業女子プロジェクトメンバー、有機農業者など、少しずつコミュニティが広がってきたという竹林さん。今後は、自身が畑にでなくても経営が成り立つような体制を確立し、より安定した生産を実現させたいという。

プロジェクトで作成したロゴマーク

「いろいろあったけれど、ここまで続けてこられたのは、作った野菜がとにかく美味しいからですね。他の生産地の野菜などもたくさん食べてみましたが、やっぱり自分の畑でとれた野菜が一番美味しい(笑)。玉ねぎなどは、生で食べたときの後味が絶対に違う。だからこそ、やってこられたんですかね」

これから挑戦したいことはあるかと聞くと、竹林さんは、「美味しい野菜をたくさん作り、有機野菜を普段食べていない人たちにも手に取ってもらえるような価格で提供できるようになりたい。そこから、有機野菜のおいしさが広まってほしい」と語ってくれた。

苦労を重ねたからこそ、続けることの重みを、何より知っている。きっと今後、それが竹林さんの武器になっていくのだろうと感じた。