2021.12.02

義父母の仕事を引き継ぎつつ、青パパイヤの生産を。
元市役所職員、50歳からの挑戦

藤間 和彦さん/ よしおか農園
農園所在地:群馬県富岡市
就農年数:2年目 2020年就農
生産:ショウガ、下仁田ネギ、青パパイヤ

妻の実家の味、美味しいショウガを残したい。
市役所を辞める決心をして、農家へ

群馬県富岡市に住む藤間さんは富岡市に生まれ育ち、市役所職員として32年間勤めてきた人物だ。担当していたのは移住定住などの仕事。市の発展のためにこれまで力を尽くしてきた藤間さんが、市役所を辞めたのは2020年3月のことだという。50歳の節目に、農業という新たな挑戦に踏み切ったのだ。

「もともと義父母が農家でした。自分も義父母の家のすぐそばで暮らしているので、農作業の様子はいつも見ていたんです。ただ、休日に手伝ったりすることはほぼなく、もっぱら新鮮なネギやショウガ、畑でとれた様々な野菜をもらって食べる担当だったんですけどね。(笑)」

そんな藤間さんがなぜ、仕事を辞めて農業をスタートしたのか。その理由を問うと、いくつかの理由を教えてくれた。一つは、農家を営む義理の両親が80歳を迎え、いつかは農業を辞めるときがくるかもしれないという時期にさしかかったこと。そしてもう一つは、両親の手掛けるショウガがシャキシャキととにかく美味しく、これを食べられなくなるのはイヤだな、と強く思ったことだ。

実は藤間さんの義父母は、以前はニラも生産していた。しかし今から7年ほど前、史上まれにみる大雪が降った際に、ニラ栽培用のビニールハウスが雪で倒壊。それをきっかけに義父母はニラの生産をやめてしまったのだという。

「香りのいいニラで本当に美味しかったんですが、もう食べられなくなってしまって……。その時に、美味しいネギやショウガを食べられるのは決して当たり前なことじゃないんだと、改めて気づきました。ずっと残していきたいなら、自分の手で作るしかないんだなと」

そう考えた藤間さんは、「義父母の年齢を考えれば、一緒に働きながら農作業を教えてもらえるのは今しかない!」と一大決心をして市役所を辞めた。やりがいのある仕事だったと市役所時代を振り返る藤間さん。しかし、迷いはなかったという。

「いつかは自分で仕事をコントロールできる“経営”もやってみたいという気持ちがありました。50歳という節目。子供たちも成長し、経済的な負担も落ち着いてきた頃合いでしたし、ちょうどよいタイミングだったんです。両親が苦労をしてきた様子を見てきたからか妻は大反対でしたけどね。(笑)」

ショウガとネギの生産を手伝いつつ、
青パパイヤへの挑戦をスタート

藤間さんがまず行ったのは、義父母が手掛けていた下仁田ネギとショウガの生産の手伝いだった。下仁田ネギは約40a、ショウガは約10a。もともと体を動かすことが好きだったという藤間さんにとって、農作業は苦ではなかった。市役所でオフィスワークに励んでいたこともあり、自然の中で太陽の光浴びて仕事をすることは新鮮で、心身ともに健康になったと感じたという。

さらに義父母と行う農作業の傍ら、藤間さんは早々に新たな挑戦にも踏み出す。空いていた畑を使って、青パパイヤの生産を試験的にスタートさせたのだ。

「ネギとショウガは両親から引き継いで生産を続けたい。でもそれだけではなく、せっかくやるならば、使っていない畑で新たな挑戦をしたいという思いがありました。青パパイヤはスーパーフードとして注目をされ始めていましたし、この周辺ではまだ生産している人もいなかった。やりがいは十分です」

調べていくうちに茨城に大規模な青パパイヤ農家があると知り、藤間さんは、すぐに見学に向かった。そこで聞いたのは、新規就農者でも青パパイヤは比較的手掛けやすいということだった。帰宅後さっそく、藤間さんは義父母の承認を得て試験的に70本のパパイヤを植えた。畑の広さは20aほど。「最初から多いのでは?」と心配する義父母。確かにネギやショウガの生産を手伝いながら、70本の株を世話していくのは並大抵のことではない。しかし、藤間さんは1本1本丁寧に手をかけ、みごとにパパイヤを実らせたのだ。

「初年度は70本中、65本が順調に育ってくれました。ただ、収穫量の予想がつかなかったので、とりあえず収穫できたら近所のスーパーの直売コーナーに出荷することに。農協にもかけあうと、珍しいこともあり高く買い取ってくれました」

販路を獲得した後、藤間さんは販促活動にも力を注いだ。まだ社会に浸透してない青パパイヤを知ってもらおうと、知り合いに声をかけて青パパイヤを配り、モニターとして調理をしてもらったり、その写真をSNSで拡散してもらったりしたのだ。

「直売コーナーで手に取ってもらえるようPOPなども作りました。そこで紹介したのは青パパイヤの栄養分や美容効果のこと。さらにモニターさんからもらった料理写真もたくさん掲載して、より多くの人に購入してもらえるよう工夫を凝らしたんです」

生産だけではなく、手に取りやすさまで考え抜く仕事スタイルは、市役所時代の経験があってのことなのだろう。FacebookやInstagramの活用も時流を捉えている。

直売コーナーに何度も通ううちに、知人がパパイヤの苗を作っていることが分かり、パパイヤ仲間にも巡り合えた藤間さん。まずまずの成果が出た1年目の経験を活かし、2年目となる2021年は、さらなる飛躍に向けて動き出した。

植物は赤ん坊と同じ。
義父の言葉に改めて感じた、農業の難しさ

生産2年目、藤間さんは青パパイヤの生産面積を10aから35aに拡張。そして初年度から5倍以上となる400本の株を植えた。

以前と変わらず下仁田ネギとショウガは義父母がメインで担当。それを手伝いつつ、青パパイヤは藤間さん1人でメイン担当をする。できるかぎりのことは自分でやらねばならないものの、株の手入れをするにも400株はなかなか大変な規模だ。

毎年、株を植え替えなくてならない青パパイヤは、株の生育がうまく行くかどうかが収穫量に直結する。大きなプレッシャーを抱えつつ、日々、藤間さんは青パパイヤの株に向き合った。しかし、結果は厳しいものだった。

「手間のかけ方が均等にならず、どうしても行き届かない部分が出てきました。さらに、夏の長雨と日照不足の影響で、いくつかの株が根腐れを起こしてしまいました」

大きく生育してから10本近くの株がばさばさと倒れてしまったことに、藤間さんは悔しさをにじませた。加えて、本数を増やして出荷量は増えたが、そのおかげで農協での買取価格は下がってしまった。「一筋縄ではいかない」ということを実感した藤間さん。

「生産も販売も、今はまさに挑戦と失敗を繰り返している最中ですね。昨年をベースにして今年の生産を考えていましたが、天候や気温は年によって違います。その時々で臨機応変に対応していかなくてはならないことが、身に染みて分かりました」

そう語る藤間さんにとって、忘れられないのは「作物は赤ん坊と同じ。しっかり思いやって、いい環境を整えてやらなければ立派には育たない」という義父の言葉だ。

これを実感したのは、パパイヤを植えたばかりの春先のこと。朝晩が冷えるので、温度が下がりすぎないようにと藤間さんは、夜から朝にかけてパパイヤの苗にカバーを被せていた。しかしどういうわけか、いくつかの苗が枯れてしまったのだ。保温が十分にできなかったとばかり思っていた藤間さん。しかし、この様子を見ていた義父からは「それは寒すぎたんじゃない。カバーをしている間に日が昇り、暑くなりすぎて枯れたんだ」と指摘を受けたのだという。

「朝晩の冷え対策は、カバーを被せておけば大丈夫だと思っていたんです。まさか暑くなり過ぎることがあるとは思ってもみなくて。義父の言葉で、その日の天候によってカバーを外す時間をずらすなどの配慮が必要だったのだと改めて気づかされました。農家の仕事は本当にごまかしがきかない。一つひとつ、気づかって、手をかけていった先に結果があるんです」

義父は今でも「いまだに満足のいく野菜ができたことはない」と語るという。いいものを作るためにどれだけ手をかけるか。際限がないからこそ、答えは自分で見つけ出さなくてはならない。藤間さんはまだそのスタートラインに立ったばかりなのだ。

農業実践校での出会いに刺激をうけ、
今後も果敢に挑戦をし続けたい

50歳での就農に不安はなかったかと聞くと藤間さんは、「少しの不安はあったが、農地がすでにある私は、とても恵まれた環境に身を置いている。すべてまっさらからスタートするのであれば、もっと不安があったと思う」と答えた。

さらに、藤間さんが常に前向きに農業に向き合うことができているのは「ぐんま農業実践学校」で農業の実践を学び、多くの仲間たちと出会えたことが大きいという。授業は週2回の1年間(コロナ禍による4月開講が6月に変更)。ここで土づくりから消毒、栽培管理技術や収穫、調製などをじっくりと学ぶことができた。

「20名ほどのクラスだったのですが、同世代の仲間にも出会い、卒業後もクラスのグループラインで情報交換をしたり、生産や販売についての相談をしたりしています。内に籠っていたら行き詰っていたかもしれませんが、こうした交流がいい息抜きになり、同時に刺激ももらえています」

今後の展望はと尋ねると、まずは青パパイヤの生産(売上高)を下仁田ネギとショウガに並ぶまでに成長させたいと藤間さんは意気込んだ。さらに、まだまだ一般家庭に定着していない青パパイヤだからこそ、ピクルスや下処理済み製品の販売なども考えていきたいという。また、年間で安定的な売上を確保するため、この3品目の収穫期外で別品目に挑戦することも視野にいれている。

「義父母のやってきた農業の良い部分を引き継ぎつつ、新たな挑戦をしていくことが私たちの役目だと思っています。生産方法、販売方法と改善できる点はたくさんあるはず。時間をかけて働くことでお金を手にしてきたのが従来の農業。後継者問題を解決するためにも、よりよい改善策を見つけていかなくてはいけません」

農作業中、小高い青パパイヤの畑から眺める富岡市の風景が何よりも好きだという藤間さん。元市役所職員だからこその広い視野と高いコミュニケーション能力、巧みなツールづかいやネットワークで、これからどのように農業を変えていくのだろう。その果敢な挑戦をまだまだ見守りたいと感じた。