2022.12.23

元 Jリーガーから農家へ転身。
スポーツ×農業で豊かな社会をつくりたい。

岡﨑和也さん/阿戸の和農園
農園所在地:広島県広島市
就農年数:5年目 2017年就農
生産:小松菜、白菜、水菜などの葉物野菜、ミニトマト

岡﨑さんがJリーガーから農家になった理由

広島市の阿戸町で農業を始めて5年目になる岡﨑和也さんは、元Jリーガー。J2のファジアーノ岡山や海外のサッカーチームでプロとしてプレーした後、怪我をきっかけにセカンドキャリアを模索。就職も検討したものの、自分が目指すものを追求していく仕事がしたいと思った時、岡山時代に通っていたイタリアンレストランに採れたての野菜を納品に来ていた農家のことが頭に浮かんだ。

「運び込まれる野菜がすごくきれいで、農家ってすごいなと、尊敬の気持ちが湧いたことを思い出しました。僕はストイックな反面、慢心もしやすい性格なので、尊敬できることに取り組みたかった。農業は何十種、何百種といろいろな作物をつくれるので、どれだけ勉強しても、『まだまだやりたい』という気持ちになることができそうだと思ったんです」

祖父母は兼業農家で、幼い頃はトラクターに乗せてもらったり、田植えや稲刈りを手伝うことも多かった岡﨑さん。父親も農業関係の仕事をしており、全く縁遠い世界というわけでもなかった。意を決して広島市主催の研修を1年間受講し、2017年に就農した。

リスクの少ない葉物の栽培からスタート

岡﨑さんが最初に栽培を始めたのは、小松菜や水菜などの葉物野菜だ。阿戸町は広島市の都市部近郊に位置し、鮮度が重要な葉物野菜を消費地である市街へ出荷するのに適している。葉物を生産する理由はもう一つあり、農業初心者でもつくりやすく、リスクが少ないからだという。

「葉物から始めると良いとアドバイスをいただきました。葉物は成長が早く、1年間に5回も6回も種を蒔いて収穫することができます。その点で、1年に1回しか収穫できない作物に比べ、もし失敗してもダメージが少ないんです」

2022年からは新たにミニトマトの栽培にも挑戦。現在は葉物も合わせて約45アールのビニールハウスと7反ほどの露路の農園を、専従者である母親とパートのスタッフを含め8人で運営している。それでも毎日大忙しだ。パートさんたちが朝8時に来る前に、岡﨑さんは6時頃には家を出て農園に向かい、その日の準備をする。葉物は8時から約2時間で収穫し、10時頃から袋詰めなどの出荷準備。ミニトマトの収穫は午前中いっぱいかかる。15時に集荷のトラックが来るまでは、時間との熾烈な戦いだ。無事に出荷が終わるとトラクターで畑を耕し、次の種を蒔く。収穫のピーク時には土曜日に作業することもある。しかし、忙しい時の方が、前進している気がして安心するという。

「栽培方法と販路を確立して、それを人にお任せできるようになれば上手く回るのではないかと思っています。僕が新しい作物を1〜2年くらい実験的につくってみて、売れると分かればハウスを建てて人に任せ、市内の量販店に直売できるくらいの量を栽培できるようにする。だから、新たな作物は量販店で需要のあるものから挑戦します。ミニトマトもその一つ。農業を始めた時、ハウスは30アールでしたが、結果的に15アール大きくなりました。そういうふうに次の作物を探求しながらやっていくと、終わりはないのかなと思います」

未来はもっと地産地消へ。広島の食物を全て広島県産にしたい

岡﨑さんがこのように新たな作物の開拓を進めていく理由は、広島県内の食物を全て広島県産のものにしたいという目標があるからだ。

広島県は、広島市を中心とした巨大な消費地であると同時に、その周辺は生産地でもある。ただし地形的に中山間地域が多く、大きな平野部を擁する地方に比べると農業の規模としては小さい。さらには、他の地方には収穫物の集荷場があることが多く、域内で生産された作物をそこに集めて袋詰め等の出荷準備を整えるため、農家は生産に専念、もしくは直売の販路を充実させる余力が持てるが、広島には集荷場がない。そのため1軒1軒の農家が袋詰めなどの作業まで自ら行わなければならず、極めて忙しい。その上、直売ではなく市場に一斉出荷される作物の価格は市場の需要と供給のバランスで決まり、農家は自分でつくったものの価格を自分で決めることができないのだ。大変な労力と手間をかけて出荷した野菜に、場合によっては驚くほど低い値が付けられることもある。結果、収益が安定せず高賃金で人を雇うことが難しいため、ますます人手不足に陥りがちだ。

負の連鎖に思えるこうした広島の農業の課題に立ち向かうため、岡﨑さんは「地産地消」の輪をより強固に、より大きくしていきたいと考え、少しずつアプローチを始めている。

「僕らはもっと、自分たちの価値を自分たちで高めていく必要があると思います。SDGsも浸透してきて、これからの世の中は地産地消がますます重要視されると思うので、所属しているJAの青年部でも“広島のものを広島で食べよう”と呼びかけています。需要と供給のバランスで変動する価格を一定にするのは難しいかもしれませんが、それでも広島県内の農家数百軒程度なら、みんなで連携してつくり過ぎを防いだり、ありふれた作物だけでなく市場が求める特別な作物を、つくれる農家とマッチングして生産したり、やれることはあるはずです。そのようにしてスーパーなどに並ぶ食物を全て広島県産に変えていきたい。生活者の方にも広島の農業のことをもっと知っていただき、その意識や農家の状況、社会の仕組みも変えていけたらと思っています」

スポーツ×農業で多くの人に喜びを。岡﨑さんだからできること

岡﨑さんにはもう一つ夢がある。それは「スポーツ」と「農業」をつなぎ、人々に喜びを届けることだ。

「僕は長らくスポーツをやっていたので、体づくりや良いパフォーマンスのために大事なのは“食”だと分かっています。海外でプレーしていた時に辛かったのは食文化が全く違うこと。その時にも食の大切さが身に沁みました。広島は実はスポーツが盛んな県でもあるんですよ。広島東洋カープやサンフレッチェ広島をはじめ、ハンドボールやバレーボール、バスケットボールのプロチームもあるんですよ。食でスポーツを支えていくこともできると思います。小中高とサッカーをする中で栄養のことも学びました。例えば僕のつくっている小松菜などはカルシウムも豊富。生産するだけじゃなく、それを食べることの重要性まで伝えられるのは、僕だからできることかなと思います」

こうした食育的な観点に加え、岡﨑さんは「スポーツ」と「農業」に、「日常の中のエンターテインメント性」と言う共通項も見出している。日本経済の低迷が続く中、人々に身近で親しみやすい娯楽とも呼べるスポーツと農業が掛け合わされ、新たな楽しみ方や参加の仕方が広がることで人々が元気になり、賑わいの創出や経済活性にも効果があるのではないかと考えているのだ。

「食べることは心の糧にもなりますし、農業は日本の素晴らしい文化でもあります。スポーツの分野には知り合いも多いので、ここ3〜4年くらいで何か取り組みたいですね」

就農当初はがむしゃらに利益を追求しようと思っていたという岡﨑さん。しかし、経験を重ね、さまざまな実情を知るにつれて、未来のより良い農業の方向性を見つけようとすることへの興味が強くなっていった。

「広島の農業を強くしたい。一人勝ちするよりも、広島の農家全体、できれば日本の農家全体を良い方向へ持っていきたい。そのためにはパートナーシップが重要。広島で良い農業のモデルが生まれれば、他の地域にも広がっていくかもしれない」と岡﨑さん。One for All, All for Oneの志に、元サッカー選手ならではの情熱を見た思いがした。近い未来、阿戸から新たな農業の輪(和)が大きく広がっていきそうだ。

就農を考えている人へのメッセージ

アンテナを張って、いろいろな人とつながることが大事だと思います。地域の人やJAの人、他の農家さんや販売店の人など、サポートしてくれる人としっかり連携を取ってやっていくこと。そうすると良い栽培方法や販売方法を教えていただけたりします。特に新しい作物にチャレンジする際は、その作物をつくっている人に聞くことをお勧めします。一方で、自分の得意な作物を持つとか、販売が得意な人はインスタを頑張るなど、自分の農業のスタイルや信念を持つことも必要だと思います。自分はどうしたいのか、どうしていくのがいいのかをしっかり考えて農業を経営することが何より重要ではないでしょうか。

 

2022年7月1日(金)、「After 5 オンライン就農セミナー」にて、岡崎さんをゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。

その様子を下記の動画よりご視聴ください!