2024.03.22

Iターンで就農支援に従事しつつ、兼業農家に。
若者の就農モデルになる、かぼちゃ農家を目指す

石牧 紘汰さん/一般社団法人イシノマキ・ファーム(あぼーぼら・いしまき農園)
農園所在地:宮城県石巻市
就農年数:2年
生産:地域のブランド品種など多品種のかぼちゃ

「地方×農業」という軸を持ち、石巻に移住。
まずは就農支援職員として農業に携わる

宮城県石巻市にIターンし、地域のブランド種など多品種のかぼちゃを育てる石牧紘汰さん(あぼーぼら・いしまき農園)。石牧さんは一般社団法人イシノマキ・ファームで就農支援などに従事する傍ら、早朝や夜、週末などの時間でかぼちゃづくりに精を出す「兼業農家」だ。借り受けた50アールの畑で夏と秋に収穫する二毛作のかぼちゃは、ホクホクの食感が特徴。マルシェなどに出品すると、ファンが待ち構えるほど人気の甘さを持つ。

2019年に、出身の横浜からIターンした石巻さんだが、幼い頃から田舎暮らしに対するあこがれを抱いていた。母方の実家である宮城県柴田郡を訪れるたびに、都会の希薄な人間関係より、人との距離の近い田舎暮らしが自分には合っていると感じていたという。

東京の大学を卒業した後、まずは社会人経験を積むため医療機器メーカーに就職。営業職として奮闘し結果も残したが、2年半経った頃には “地方で暮らすこと” に対する熱量が勝り、転職雑誌を眺めるようになっていた。

また一方で石牧さんは、実は「農業」にも並々ならぬ熱い思いを持っていた。きっかけは、東日本震災の余波が色濃く残る2013年、大学生時代に教授に勧められて参加した福島での農業体験だ。

「当時は風評被害で、福島産の農作物は全く売れていませんでした。作っても売れない状況にもかかわらず、腐らず前を向いて頑張っている農家の人たちの姿に、『かっこいい……』と魅了されて。農業っていいなと考えるようになったんです」

そんなときに見かけたのが、「農業を通じて、地域、社会、そして自然とつながる」というビジョンを掲げるイシノマキ・ファームの求人だ。このキャッチフレーズに共感し、「これに行かなければ後悔する」奮起。就職が決まってから、すぐに石巻に移住した。

自分が就農することで、若者が未来を描けるように。
生産者が激減したブランドかぼちゃ栽培の道へ

 移住後はイシノマキ・ファームで、就農コンシェルジュとして就農支援に取り組み始めた石牧さんだが、自ら就農することを決意したのは、「石巻の新規就農のモデル」になるためだった。

「地域柄、新規就農者はまだ少なく、就農希望者はいてもなかなか就農して生活していくイメージがしづらいという課題がありました。そこで、移住してきた私がゼロから農業を始める姿を見れば、就農イメージがつきやすいのでは、と。またこの仕事をするなかで農業の知識ばかりが増え、頭でっかちになってしまうことも気になっていて。自身がプレイヤーとなって、体験やノウハウに基づいた就農支援ができるようになりたいと考えたんです」

いざ就農に向けてスタートを切ろうとしていた頃、知人から「うまいかぼちゃあるぞ」と、地域のブランドかぼちゃを紹介された。このかぼちゃの甘みやホクホクの食感に惚れた石牧さんは、「かぼちゃ農家」となることを決意。作り方を学ぶため、既に引退していたかぼちゃ農家でのちに“師匠”となる人物を紹介してもらい、「半ば強引に育て方を教わりました」と振り返る。

イシノマキ・ファームの仕事の中で農業の基本や機械の扱い方などは学んでいたものの、このかぼちゃ特有の管理方法を知る必要があった石牧さん。「師匠は畑や機械のこと、またブランドの扱い方などについて親身になって考えてくれました。体調が万全でなかったにもかかわらず、丁寧に指導してくれて、本当に感謝しています」と噛みしめる。

現在、石牧さんは早くブランドかぼちゃ栽培の仲間に入れるように技術を高めているという。

早朝と夕方に畑に出る兼業農家という生活。
地域の温かさを実感した、トラブル続出の初年度

 就農相談員として、農業の知識とともに人脈も築いてきた石牧さんの土地探しは、順調に進んだ。50アールの畑を借り受け、師匠からノウハウを学び、2022年にいざ農家となったが、初年度は想定外の数々のトラブルに見舞われた。

3月にポットに種を捲き育苗していたが、4月の定植予定2日前に大病を患い入院。近隣農家に「入院したので、今回は(定植を)諦めます」と報告したところ、「それはダメだ! 人を集めてでも植えなさい」と声を掛けられ、その後、職場の同僚や知人らが石牧さんに代わって苗の管理と定植をしてくれた。

「人が集まってくれたことが本当にうれしかった。でも退院した翌日には、4月の末にもかかわらず、今度は雪が降りました(苦笑)。無理を押し慌てて畑に出て、不織布トンネルを張りましたね。近所のおばあちゃんも手伝ってくれました。追い打ちをかけるように、6月には大雨。畑が水没して田んぼみたいになったんです。本当しんどかったです、1年目は」

4トンを見込んでいた収穫量は500キログラムにとどまったが、「振り返ってみると、楽しかったです。まわりの人の温かさに触れ、人って素晴らしいなとつくづく思いました」と石牧さんは笑顔で語る。

初年度から仕事のリズムは変わらず、平日の朝夕と土日を農作業に充てている。忙しいのは「芽欠き」の時期だ。朝3時半に畑に出て作業し、9時にファームに出社、夕方5時から8時まで再び畑に出るという生活が続く。1株から必要な芽だけを残す「芽欠き」の作業は、手間暇かかる上に効率も悪いが、かぼちゃに栄養を凝縮させるため甘みがぐっと増す。

販売については、夏収穫のかぼちゃはほぼ全量を市場出荷。秋収穫の準備が同時並行しているため、販売などに時間が取れないのが主な理由だ。一方で秋収穫のかぼちゃは、自社ECや地域のマルシェなどでも販売。すると、「もう、ほかのかぼちゃじゃ満足できません」、「次はどこで販売しますか」などのメッセージが届くそうで、石牧さんは「生産者としての喜びを実感でき、とてもありがたいんです」と笑顔を見せる。

待っていてくれる人に届けられる幸せ。
儲かりにくいと思われがちな「かぼちゃ」で稼ぐ姿を

収入が2本柱であるため、生活面の不安が少ない兼業農家だが、「若者の就農モデルとなろう」と農業を始めた石牧さんだからこそ、収益をないがしろにすることはできない。

「2年目は経費などを計上すると赤字は出ずとも黒字ともいいがたい成績でした。もっとまとまった所得を得られるようにならなければ、ただの趣味になってしまう。昨年までは収益にこだわらずカボチャでつながるコミュニティを作りたいと思っていました。しかし、これからは農業できちんと生活していけます、というところを見せたい」と石牧さん。

さらに石牧さんには、就農時に儲かりづらい作物を回避してほしくないという願いもある。

「本当はこの作物を作りたいけれど、お金にならなそうだから選ばない、という話は少なくないんです。自身の中で感度が高い作物なのに、儲からないという理由だけで諦めてしまうのは、とてももったいないことです。だからこそ、ごく一般的な作物であるかぼちゃで、6次化商品を出したり、価格や生産量を上げたり、売上をあげて、生活できるところを見せなくては。それは後継者を育てることにもつながるはずです」と語る。

 近年は、耕作放棄地を使ってほしいという相談もあり、事業拡大も検討中だ。年間売り上げ目標を達成し、妻と農園レストランを開きたいという夢もある。

「今後は、ただのかぼちゃではなく、『あぼーぼら・いしまき農園』のかぼちゃとして認識し選んでもらえるよう、PRや販売方法を工夫していくつもりです。石巻の自然も、地域の人々との付き合いも好きで、農業が休みの冬よりも、土を触り始める春の方が自分が元気になるのが分かります。自分の手で作った納得できる作物を、待ってくれている人に届けられる。こんなに幸せな仕事ははないですよ」

大病や自然の厳しさなど苦い経験をしてきた石牧さんだが、「これから農業を始める未来の担い手たちに成功する姿を見せたい」という情熱が、今日も彼を動かし続けている。

就農希望者へのメッセージ

誰のために、何のために農業をするのかをよく考えてほしい。正解はありません。ただ、自分の気持ちを、自信を持って言えるよう気持ちを固めてから、農業を始めてもらいたいと思います。描く夢が固まっていれば、支援者がどんな方向でサポートすれば良いか教えてくれます。お金を儲けたいから農業を始めたいのなら、儲かる作物を選び販路を考えればいい。兼業で空いている時間で作物を作り、ブランド化した販売がしたいというなら、そういうスタイルを選択していけばいいんです。自分がどうして農業をしたいのか、今一度、しっかり考えてみてください。

また、農業をする中で、地域のつながりを大切にしてほしいと思います。僕も地域の集まりがあれば顔を出し、消防団にも加入しました。被災地での消防団活動に自信はありませんでしたが、自分にできることにはトライしています。

普段から私の畑には、さまざま人が顔を出してくれます。農作業をしつつ、入れ代わり立ち代わり誰かとお茶を飲むような、そんな蜜な付き合いが楽しい。きっとあなたを助けてくれる人たちに出会えるはずですよ。

 

「After 5 オンライン就農セミナー」にて、石牧さんをゲストに就農までの経緯やご自身の体験談を語っていただきました。その様子を下記の動画よりご視聴ください。