2024.03.26

故郷の島で無農薬レモンとハチミツ生産
経営視点で他事業にも柔軟に取り組む
新たな兼業農家の在り方

西村達哉さん/七国見山養蜂園
農園所在地:広島県呉市
就農年数:8年目 2016年就農
生産:レモン、みかん、デコポン、蜂蜜

長年暮らした中国から帰国し、故郷で兼業農家として就農

広島県呉市の沖、瀬戸内海に架かる橋を二つ渡って辿り着く上蒲刈島の山腹で、レモンをはじめとする柑橘類の栽培と、セイヨウミツバチによる養蜂を営んでいる西村達哉さん。傾斜のきつい柑橘園での仕事は負荷も高いけれど、一息ついて顔を上げれば、眼下に広がる瀬戸内海と、浮かぶ島々の風景の素晴らしさはやはり格別だと言う。

生まれてから中学校までをこの島で過ごした西村さんが、母親が住む実家のあるこの地に戻り農業を始めたのは2016年のこと。高校、大学は広島市内で過ごし、大学院で研究した中国教育史をさらに探究するため中国に留学。その頃に自ら立ち上げたECサイトの運営を生業の一つとしながら、中国の大学で講師も務め約15年も暮らしたが、広島市内で事業を営んでいた祖父の後を継ぐ必要があり帰国することに。ちょうどそのタイミングで農地を手放す知人から相談を受け、「じゃあ、自分がやってみよう」と土地を借り受けて、会社経営の傍らで農業を始めた。

やがて故郷である上蒲刈島に、より条件の良い農地が見つかったためUターン。「まずは5年間、本気でやってみよう」と、譲り受けた成木の柑橘園に加え、約70アールの農地にレモンなどの苗木を植えて、営農を本格化させた。栽培方法はJA広島果実連の新規就農者向けの研修で習得。行政の補助制度なども利用しながら、現在は1ヘクタール弱の柑橘園を、繁忙期にはアルバイトや身内の助けも借りつつ、基本的には西村さん一人で切り盛りしている。

特徴的なのは、「無農薬の完熟レモン」作りを行っていること。

「農薬を絶対に使わないで作ろうと決めて始めたわけではないんです。でも、知人に『農薬を使わずに作ったレモンがほしい』と言われて、需要があるんだと気づきました。日本だとレモンはとにかく酸っぱければいいと思われがちですが、ヨーロッパなどではレモンを直接かじって食べることもあり、レモンに甘みがあります。だから私も“甘くておいしいレモン”を作ってみようと。農作物にも差別化が必要ですし、売れるもの、ほしいと言ってもらえるものを作ることが大事だと思っています」

特徴的で価格の安定した柑橘類を数種、組み合わせて栽培

試行錯誤しながら作った西村さんのレモンは、一昨年前から実を収穫できるようになり、星付きレストランのシェフや高級青果店からも高い評価を得ている。外見まで美しくできたレモンはそのような店に卸したり、インターネットで直接販売し、その他のレモンは加工用として複数の卸先に出荷。みかんや不知火(しらぬい)などは、直売を行っている近所の農家に安定した高めの価格で販売してもらっている。

「高い単価で売れる所と、量をたくさん買い取ってくれる所と、両方大事ですよね。上蒲苅島で農業を始める時に適切な栽培作物を探しましたが、栽培条件と共に価格が安定していることも重要視して、みかんとレモンと不知火の3種でポートフォリオを組もうと思いました」と西村さん。

「ポートフォリオ」とは、投資などの資産運用において利益とリスクのバランスを取るための、株や不動産、債券など複数の金融商品の組み合わせを意味する。育てる作物をそのような視点で見ているのも、西村さんのユニークな所かもしれない。

柑橘栽培と同時に一人でもできる養蜂を第2の柱に

また、農業仲間から話を聞いて、西村さんが経営のリスク分散のために事業のもう一本の柱として始めたのが養蜂だ。現在、セイヨウミツバチを30箱ほど飼育しており、年間で400〜600kgほど採れるハチミツは瓶詰めし、百貨店や食品専門店など、高級な食材が売れる売り場で販売している。

「ハチミツは高級品なので、そんなに高い頻度で動く商品ではないのですが、農業はやはり天候などのリスクがつきものなので、一人でも柑橘栽培をしながらできる事業として行っています」

そんな西村さんの1年のスケジュールは、2月半ばに蜂の巣箱を開けて世話を始め、春が訪れる4月から盛夏の7月頃までハチミツ採取と瓶詰め。冬になって花がなくなる12月〜1月は蜂たちを休ませ越冬させつつ、ハチミツ取引店の開拓を行う。一方で柑橘園は、12月頃からみかんの最盛期が始まる。そこから5月頃まで収穫期で、特に春から初夏は養蜂の繁忙期とも重なるので踏ん張りどころ。春が近づくと枝の剪定や土壌改良、夏には摘果など柑橘園は1年を通じて何かしらの作業があるが、11月にはまとまった休みが取れるという。

「繁忙期が重ならないから両方やろうと思ったんですが、意外と閑散期がなく(笑)。だから11月は私にとっては貴重な時間。長めの旅行に出かけ見聞を深めたり、人に会いに行ったりしています」

島で自立してやっていける事業モデルとしての農業を模索

西村さんは現在も、祖父から受け継いだ会社の経営と並行して農業を行っている。当初は半々くらいの配分で、と考えていたが、思った以上に農業は忙しかったそう。それだけでなく、西日本豪雨災害や大寒波などの悪天候が続き、農業の厳しさも味わった。

「豪雨の時は柑橘園のほぼ全域に被害が及びました。成木で譲り受けた畑のど真ん中が大きく崩れ落ちてしまい、計画していた売上が立たなくなりましたし、寒波でようやく収穫できるようになったレモンの実が凍ってしまって、ほとんどダメになってしまった年もあります。レモンの名産地の瀬戸田などに比べると上蒲刈島は傾斜が急で、作業効率も決して良いとは言えません。

この島で農業でも自立できるぐらいの経営規模に育て、収益が確保できる営農モデルを確立して、どなたかお任せできる人を一人でも雇用できるようになることを目標に取り組んできましたが、思っていた以上に難しいというのがやってみて分かってきたことです。過疎化しているこの島に、観光と連動して人を呼ぶ仕掛けなども考えましたが、昔からの住民の方は変化への戸惑いもあるので、簡単には進まないことも分かりました」

それでも、西村さんはこの農業を育てることをあきらめてはいない。幸い生活面を支えられる他の事業もやっていることが強み。事業の一つとして農業を捉え、上蒲刈島だけに留まらず、大きな視野でどのように継続し、発展させ、人に渡していけるかを考えている。

経営視点で事業の一つとして農業に取り組む

西村さんに今後の展開について伺ってみると、

「農家というのは個人事業主なので、経営的な視点が非常に大切だと思います。過疎化が進んでいるこの島で、採算が取れる農業をするにはどんな方法がいいのかを引き続き模索しつつ、将来的には広島市内で収益性の高い近郊農業を行うことも検討しています。島よりも平坦な土地があるので効率化しやすい利点があります。また、水産業やエネルギー分野など他の事業も手掛ける可能性もあるかもしれません」

中国でビジネスをしていた頃からずっと、人との関係、人とのつながりを何よりも大事にしてきたという西村さん。どんなに忙しくても、人に会いに行くことは惜しまないようにしている。そうすると、いろいろな方から新しい展開につながる声かけをもらえたりするのだそう。

「昔からそうなのですが、私は自分の興味のあることをとことん探求していきたい気持ちが強い人間です。いつも面白いと思えることをしたい。新しい事業を検討し、やれそうならやってみて、無理なら次のことをすればいいですし、難しさがあるからこそ新たな視野が見えてくることもあります」

自分が歩みたい人生を歩むために、リスクも自分自身で取りながら、興味を持ったことに深く取り組んでみて、事業になりそうなら事業にしていく。「“農家”という枠にとらわれず、新しい感覚で挑戦してみてもいい」。西村さんは、農業への関わり方の柔軟性や、兼業農家の新しい在り方を示してくれた。

就農を考えている人へのメッセージ

「農業は、たとえば、“カフェでもやろうかな”くらいの軽やかな動機から始めてみてもいいと思います。柑橘農家は、他の農業に比べると初期投資が非常に低くて済むと言われています。農地は離農された所を借りればいいし、軽トラとコンテナと薬剤散布の機械さえあれば始められます。養蜂も1箱からできます。一生続けられる仕事にしなければと思うと大きな覚悟が要りますが、やってみてうまく行きそうだったら続ければいいし、そうでなければ別の道を探るのも一つの方法です。キャリア形成において、何かを試すことがマイナスになることはないと私は思います」